宗教12③
出典: Jinkawiki
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南アジアの宗教
ヒンドゥー教は、古代インドでバラモン階級を中心に発達した宗教であり、ヴェーダを聖典とするのでヴェーダ宗教といわれることもある。ヴェーダとは「知識」を意味し、詩人たちが、神の啓示を感得して作ったとされ、サンヒタ―(本集)、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ―ンタ(「ヴェーダの末尾」という意味))の4つの部分からなる。ヴェーダに登場する神々は、自然現象を神格化したものが多く、バラモン教ではブラフマン(梵)とアートマン(我)とが、実は同一であるとする「梵我一如」の思想ができあがった。さらに、ウパニシャッドで確立されたカルマ(業)・サンサーラ(輪廻)・モクシャ(解脱)の思想は、相互に関連してその後のインド宗教全般に決定的な影響を及ぼすことになった。 ヒンドゥー教は今日インド人の8割以上が信仰する宗教である。社会制度、法制度、習俗など生活全般に関わっている。ヒンドゥー教は広い意味ではバラモン教をも含めるが、普通は仏教成立以後のものをさす。紀元前6~4世紀頃、インドに反バラモン教的な思想家が次々と出現し、仏教やジャイナ教などの新しい宗教が成立したが、土着の民間信仰や習俗などを吸収しながら、大きく変貌していったことを広い意味でのヒンドゥー教とした。その後、イスラームの進出によって、ムスリム王朝に支配されるが、そうしたなかでもヒンドゥー教の侵攻は根強く生き残ったのである。ヒンドゥー教にはバラモン教から継承したものも多いが、二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』が新たな聖典となった。また、『プラーナ』『マヌ法典』などの法典類も聖典として扱われた。神々も様変わりし、ビシュヌ神やシヴァ神が崇拝の中心となった。ブラフマー神が創造を、ビシュヌ神が維持を、シヴァ神が破壊を担当し、それらの神は実は同じ根本原理であるとする「三位一体」の説も作られた。 カーストという言葉は、元々ポルトガル語で「家族」「血統」を意味するカスタに由来する。16世紀にインドに到着したバスコ・ダ・ガマが、インド人社会の四種姓という制度を知って、こう呼んだのが一般化した。四種姓とはバラモン(司祭階級)、クシャトリア(王侯、武士階級)、ヴァイシャ(商人階級)、シュードラ(農民、牧民、手工業者など生産従業者) を指す。細かくはジャーティという世襲の職業ごとの集団があって、これが2~3千に分かれている。どのカーストに生まれたかは、前世のカルマ(善悪の行為である、豪のこと)によるとされることから、輪廻転生がカースト制度を支えていることが分かる。
中国の宗教
儒教は超自然的な存在を否定はしないが、何よりも現世の秩序を重んじる。儒教という言葉は、インド伝来の仏教に対して300年頃に生じたとされ、孔子と孟子の教えを中心とするので、孔孟の教えともいわれる。孔子の『論語』は彼の言行録である。彼は国を治めるには法律を厳しくするより、道徳や礼儀によって人々を教化すべきと考え、最高の徳を仁と呼んだ。また、孟子は仁義による統治を説いたが、他方で、民の信頼を失った天子は武力によって討伐されても当然という「易姓革命」の考えを肯定し、危険思想とみなされたりもした。人は生まれながらに仁義礼智の四徳の可能性を内包しているという有名な性善説を唱えた。彼の思想は『孟子』にまとめられている。 儒教は漢の武帝の紀元前136年に国教となり、それ以後清朝の崩壊に至るまで歴代朝廷の支持を得て、中国の社会・文化に大きな影響を与えた。儒教の基本的徳目は、五倫(父子の親(父と子は自然な親愛の情で結ばれている)、君臣の義(君(主君)と臣(下臣)は道徳・倫理にかなった結びつき)、長幼の序(年下の者は長者の者にしたがう)、夫婦の別(夫と妻は役割が違う)、朋友の信(友は互いに信頼する):社会秩序を維持していくのに適した倫理)五常(仁、義、礼(:本来は儀礼作法の形式であり、社会的な秩序を維持し、人間関係を円滑にするためのもの)、智、信)としてまとめられる。また、中国仏教が空の思想を展開する上でも大きな影響を与えたものとして、老荘思想がある。老子の無為自然の思想は、道は自然に備わっており、人為的に決められた道は本来の道ではないという考え方で現実的関心が強く、世俗的な成功も否定されるわけではない。一方、荘子の斉物思想は、生と死や貴と賤、大と小など現実は対立しているように見えるが対立はみかけにすぎず、みかけの対立を超えて自然の流れに身をまかせるという考え方であり、現実を超えた宗教的解脱に近い境地が求められる。このように老子と荘子の思想は類似性が多いが、はっきりとした違いもある。
儒教はもともと仏の住む場所をさすが、とくに阿弥陀仏の住む西方はるかかなたの極楽浄土が有名である。死後、極楽浄土に往生するのが、浄土信仰の中心であった。極楽浄土の思想は、西北インドで100年頃に成立したといわれる。主要経典は『無量寿経』『阿弥陀経』『観無量寿経』の浄土三部経である。浄土に往生するには、ひたすら阿弥陀仏の名を唱えればよいという信仰は、大衆にも受け入れやすいものであった。
禅の基本には、文字や言葉を越えたところで真理がただちに伝わったり、悟ったりするという立場がある。禅宗は中国で形成されたが、正統な仏法を伝えていることを示すため、さまざまな伝承が存在する。悟りはどのようにして得られるのか、そこに至るための修行の手引きが中国の禅宗では『禅宗四部録』としてまとめられた。
仏教や道教の影響を受け、宋代に新たな展開をした儒教を今日、新儒教と呼び、その代表は朱子学である。知識人の間に広がった仏教や道教に対し、伝統的な教学である儒教を正統的な思想として復興させようと、朱熹は、儒教を朱子学という学問体系にしあげた。
明の時代に登場した王守仁は朱子学に抵抗しつつ、より実践的な性格の強い陽明学を打ち立てた。彼は、すべての人は平等であるとして、主体性尊重の哲学を説いた。とくに知識と実践の一致(知行合一)を重んじた。
日本人と宗教
日本人は無宗教が多いといわれるが、実際には大半が初詣に出かけ、葬式のときには僧侶を呼び読経をしてもらうなど、年忌法要もきちんと行う人が多い。まったくの無宗教であるなら、仏壇や神棚を祀ったりしないであろう。多くの日本人は日頃それほど意識はしないが、神道と仏教の双方の信仰に足を踏み入れている。神道と仏教は相互に影響を与え合いながら、歴史的に展開してきた。また、中国から経て伝わってきた大乗仏教が、きわめて日本的な仏教になったのは、古くからのカミ信仰の影響があったからである。日本人の信仰の特徴は、民族信仰あるいは宗教習俗と呼ばれる者によく表れている。年中行事や人生儀礼と呼ばれる習俗には、神道、仏教、儒教、道教、そして最近ではキリスト教など、さまざまな宗教の要素が流れ込んでいる。複数の宗教的伝統が混ざり合うことに、抵抗感があまりないゆえに、シンクレティズム(複数の宗教的伝統が混ざり合い、ときに深く結合するような状態)であることが特徴の1つである。同じ人間が神社に初詣に行ったり、クリスマスというキリスト教国の行事を行うことがおかしいと感じられないのは、シンクレティズムが文化的特徴になっているからであろう。
参考文献
図解雑学 宗教 最新版 ナツメ社 井上順考 2011
改訂新版 総解説 世界の宗教 ―失われた宗教・民族の宗教、世界三大宗教がわかる 自由国民社 高尾利数ら 2004
ハンドルネーム A.K.