室町幕府
出典: Jinkawiki
室町幕府
足利将軍家の家紋室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が創設した武家政権で鎌倉幕府に次ぐ幕府である。「幕府」とは本来は将軍の居所の事であり、「室町幕府」は3代将軍足利義満が造営した将軍の公邸(室町殿または花の御所)の事であるが、江戸時代中期より武家政権の名称として「幕府」の言葉が使われるようになり、この時代の政権を室町幕府と呼称するようになった。
成立時期および終期
15代将軍・足利義昭室町幕府の成立時期には、幕府の施政方針が建武式目として確立・明示された建武3年(1336年)11月、足利尊氏が北朝の光明天皇に征夷大将軍へ補任された暦応元年(1338年)の2説があるが、今日では前者が有力説である。
幕府の終期については、1573年に15代将軍足利義昭が織田信長によって京都から追放され、足利将軍家が歴代相伝する山城および丹波の御料所を織田政権に奪われたことで事実上崩壊した。この間の約240年余りを室町時代と呼ぶ。なお、明徳の和約(1392年。北朝と南朝の統一)までを南北朝時代、明応の政変(1493年)以降を戦国時代と呼ぶ。
しかし、足利義昭は信長により京都から追放された後も、征夷大将軍を解官された訳ではない。『公卿補任』では、天正16年(1588年)に義昭が関白豊臣秀吉に従って参内して、秀吉への忠誠を誓うまで征夷大将軍であったと記録する。
また、明治時代末期から第二次世界大戦敗戦まで、当時の政府の公式見解においては、南朝を正統な皇統としてこの時代を「吉野朝時代」と称していたが、その結果、北朝が任じた初代尊氏・2代義詮・3代義満(南北朝合一以前)は正式な将軍とは認められていなかった(皇国史観)。室町~明治時代末期までは、北朝が正統な皇室の祖先とされていた。
参考文献
今谷 明 著 戦国期の室町幕府 講談社学術文庫
後藤武士 著 読むだけですっきりわかる日本史 宝島社文庫
今谷 明 著 戦国大名と天皇―室町幕府の解体と王権の逆襲 講談社学術文庫
邦光 史郎 著 後醍醐復権の野望―小説日本通史 鎌倉幕府‐室町幕府 祥伝社文庫