室町幕府の崩壊
出典: Jinkawiki
鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇を退け、自らの政権を築いた足利尊氏は、功績をあげた武将や、土着の武将を次々と守護に任じた。また、鎌倉時代の守護よりも大きな権限を与えたため、室町時代の守護は領国一国の支配権を確立した守護大名へと成長。相対的に将軍の権威は弱まり、歴代の将軍は守護大名の統制に苦慮することとなる。
その時勢の中、将軍の専制政治を目指した6代将軍足利義教が、守護大名であった赤松満祐に暗殺され(嘉吉の乱)、これにより、室町幕府の権威は大きく低下した。さらに守護大名の力は増加し、これが守護大名の家督争いに端を発した未曾有の大乱、応仁の乱へとつながっていった。
応仁の乱後も足利将軍家は中央政権の長としての実力を何とか維持していたが、有力守護大名であった細川氏によるクーデター「明応の政変が」発生し、10代将軍足利義稙は京都を追放され、細川氏の傀儡となる新将軍が擁立された。これが幕府崩壊の決定的一因となり、室町幕府は中央政権としての権力を失い、世は群雄割拠の戦国時代へと突入していく。
参考文献:図解戦国史、図解日本史(ともに成美堂出版)