山内事件

出典: Jinkawiki

 愛知県のある町で農業を営む青年(山内某;当時24歳)の父(当時52歳)は昭和31年に脳溢血で倒れ,昭和34年再出血を起こして半身不随になり,上下肢は屈曲位で固定され,少しでも動かすと激痛が走るようになった。しゃっくりの発作も起こり,「苦しい,殺してほしい」と家族に訴えるようになった。昭和36年夏家族は主治医から「おそらく後7日間か,それとも10日間くらいの命だろう」と告げられた。父親の苦しむ様子を見て,この苦痛から解放することが最後の孝行になると決意した青年は,自宅に配達された牛乳瓶の中に有機リン殺虫剤を混入し,事情を知らない母親がその牛乳を飲ませたため,死亡し,青年は尊属殺人の罪に問われた。

昭和37年名古屋高裁における山内判決…安楽死の六要件 (1)病者が,現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され,しかもその死が目前に迫っていること。 (2)病者の苦痛が甚だしく,何人も真にこれを見るに忍びない程度のものなること。 (3)もっぱら,病者の死苦の緩和の目的でなされたこと。 (4)病者の意識が,なお明瞭であって意思を表明できる場合には本人の真摯な嘱託,または承諾のあること。 (5)医師の手によることを本則とし,これによりえない場合には,医師によりえないと首肯するに足る特別な事情があること。 (6)その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものなること。  判決は懲役1年執行猶予3年。

参考文献 立山龍彦『自己決定権と死ぬ権利』(1998,東海大学出版会)


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