工場法
出典: Jinkawiki
工場労働者の最低労働基準、特に女性・年少者の保護基準を定める法律の総称。個別資本の利害を制約することによって資本主義生産における労働力の階級的消耗を防ぐことを目的とした最低限の労働者保護規定である。
英国から始まった、工場法
1802年繊維産業における幼年工の就業時間制限などを目的として英国で制定された法律が最初といわれ、以降幼年工の雇用禁止、親権の制約、女性・少年工の労働時間制限、安全や衛生・保健に関する規制、そして工場監督官設置などが定められ、各国にも普及した。 工場労働からの子どもの保護 この法制定に大きく貢献したのがロバート・オーエン(Owen, R. 1771-1858)である。オーエンは、子どもの人権と学習権を保障すべく、低年齢の子どもの雇用や長時間労働の禁止、学習機会の保障を骨子とした工場法の制定を要求した。これを受け、上記のように1802年、最初の工場法が成立したのである。
工場法の中の教育条項はやがて義務教育へと発展
オーエンは「教育学者」ではなかったが、近代社会が求める学校教育のあり方を理論化し、国内外の近代学校の教育に大きな影響を与えた。それまでの伝統的な教育が、家庭や地域の風俗・習慣などとの関係において構想されたのに対し、近代学校では、産業資本や国家権力が求める知識・技能および態度を子どもに伝達・注入し、社会的な要請に応えていくものとして構想されるようになった。イギリスの公教育制度の成立は、産業革命が大きな影響を及ぼしている。いわば、子どもを過酷な労働から守るという目的が、次第に公教育の成立へと向かっていった。オーエンが公教育制度の成立に果たした役割は大きい。
日本における工場法の制定
日本では1916年施行の工場法が最初だが実質的には空文に等しかった。1919年ILO(国際労働機関)第1回総会で、労働時間を1日8時間、1週間48時間と定められたのを契機に1923年工場法が改正されたが、適用の15歳未満から16歳未満への引き上げ、最長労働時間(12時間)の1時間短縮という低水準のもので、1929年の改正でようやく年少者や女性の深夜業が禁止された。現在は労働基準法が労働条件規制に関する包括的法律となっている。
<参考文献>
『イギリス労働者の貧困と救済』 安保則夫著 明石書店