従属理論2
出典: Jinkawiki
従属理論
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概要
1960年代後半ラテンアメリカの社会科学において登場した、既存の開発理論・開発政策に対する批判運動としての一思潮。資本主義世界経済は中枢と周辺から成り立っており、周辺の国々は中枢の国々に従属し、さまざまな資源の搾取を受けているという理論である。1960年代よりT.ドス・サントス(Theotonio Dos Santos)やC.フルタード(Celso Furtado)、A.G.フランク(Andre G. Frank)などのラテンアメリカの経済学者らによって唱えられ、南北問題の理論化に大きな影響を与えた。第三世界の貧困の起源は、一次産品供給の単位として世界システムに組み込まれた植民地の歴史にまでさかのぼるとし、ヨーロッパ中心型世界システムの発展と一対のプロセスとして非ヨーロッパ世界の周辺経済化が進んだと論じた。植民地独立によって帝国の支配からは解放されても、単一栽培を強化するアグリビジネスや資源開発型多国籍企業の浸透により、同様の垂直的分業と収奪体制が維持されたと指摘し、低発展が構造化されたことをラテンアメリカの事例研究によって示した。
登場の背景
第2次大戦後ラテンアメリカの開発理論の主流をなしていた近代化論の破綻、さらに、戦後の開発政策が主張した輸入代替工業化政策がもたらしたアメリカ系企業(多国籍企業)による国内産業の支配が背景である。また、キューバ革命とその社会主義宣言,などからなる当時の社会情勢を指摘することもできる。
アンドレ・グンダー・フランク
従属論の代表的論客であるフランクは、日本においてもその主著『世界資本主義と低開発』(1975…1967,69年刊の二つの著書を編集)が紹介され注目を浴びた。1929 年にベルリンで生まれたA. G. フランクは、ナチスの迫害を逃れて1941年にアメリカに渡り、シカゴ大学で博士号を取得した後に 1962 年にブラジリア大学教授となる。サミール・アミンとならんで新マルクス経済学の、いわゆる従属学派の創始者とされ、ウォーラステインを筆頭とする世界システム論派の先人として認識されている。かれの主張の基本的な内容は、資本主義というのが繁栄を享受する中心と、それに従属して低コスト労働や資源の供給と市場の提供に甘んじる周縁の存在に依存しており、周縁部は永遠に中心に対する従属的立場に甘んじることを余儀なくされる、というものであった。そして資本主義に対してマルクス主義的な経済を堅持することこそが発展への道となる。かれの議論は1960 年代から1970 年代にかけて、いわゆる南北問題が慢性化していた時代にはある程度の説得力を持っていた。特にかれがフィールドとしていたラテンアメリカ諸国に見られた露骨な収奪構造はだれの目にも明らかではあった。このため、かれの議論や用語は特にラテンアメリカの社会主義政権には大きく歓迎されることとなった。しかしかれの議論は、社会主義の衰退と崩壊に伴って一般性と説得力を大幅に失うこととなる。かれの議論は特に 1980 年代後半から 1990 年代の東アジアの大躍進を前にしてまったく説得力を持たなくなる。こうした諸国は、グローバル資本主義の中に積極的に組み込まれることで、低開発国の地位から中進国の地位、そして分野によっては先進的な地位にすら、に到達することに成功した。これに対しフランクは『リオリエント』で、なんとか説明を提示しようと試みたが、その理論はまさにそれまでの自説である従属理論を否定することでしか成立しえないものとなっており、またそこで提示された枠組みも限られた説得力しか持ち得なかった。だが、16世紀以来の世界史を被支配周辺部からみようとする周辺史観,低開発を一国ごとではなく世界システムのなかに位置づけようとする世界資本主義論、といった従属派に共通の視座の強調という点において、フランクによる貢献は大きい。
参考URL
アンドレ・グンダー・フランク(Andre Gunder Frank),1929-2005(http://cruel.org/econthought/profiles/agfrank.html)