従軍慰安婦
出典: Jinkawiki
旧日本軍の戦地での性的処理のために、強制的に連行された女性達を指す。利用する軍人、兵士にとっての「慰安」は、女性達には“性奴隷”以外のなにものでもなかった。
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歴史
最初に慰安所が設置されたのは、1932(昭和7)年の上海事変勃発のころ中国に作られたといわれている。5年後の日中全面戦争後、軍隊の後方施設としてアジア諸国、南洋群島などの日本軍駐屯地に設置されるようになった。「慰安婦」にされたのは、朝鮮半島出身の若い女性を中心に、沖縄の辻遊廊に売られた「じゅり」と称するもの、台湾、中国、フィリピン、インドネシアなどの女性達であった。最近では、オランダ人やオーストラリア人が含まれていたこともわかっている。ほとんどが、日本軍駐屯地の現地の女性達が「慰安婦」にされたが、沖縄には、朝鮮半島から強制的に連れてこられた若い女性達も多数いた。また、なかには「看護婦」と称して徴用され、実際は「慰安婦」をさせられた沖縄の女性達がいたという証言もある。
目的
日本軍が「慰安婦」を必要としたのは、 1.中国での日本兵による強姦事件が多発したこと 2.出征兵が前線での抑圧生活に耐えられず自暴自棄になる恐れがあるため 3.“売春”を生業とする女性では兵士に性病がなる確率が高くなるため 以上から、“素人”の女性を必要とした。
沖縄との関係
沖縄には、1944年3月の第32軍守備軍の編成に伴い、順次駐屯する日本兵のために慰安所が設置された。構成部隊のほとんどが、中国戦線から転職してきた男たちであった。1部隊2慰安所をめどに設置されたが、これまで、沖縄の女性史研究グループの調査で明らかになった沖縄県内の慰安所は、離島を含めて131カ所あったことがわかっている。ただ、沖縄で従軍した「慰安婦」の総数はもちろんのこと、朝鮮、沖縄の「慰安婦」たちがどのように配置されていたが、ほとんどわかっていない。
参考文献
「沖縄を知る事典」編集委員会(2000)『沖縄を知る事典』日外アソシエーツ
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