従軍慰安婦問題
出典: Jinkawiki
太平洋戦争中に、朝鮮・中国・東南アジア(在住ヨーロッパ人を含む)の女性が、旧日本軍に強制売春等で性的恥辱を強制されたことに関する賠償を中心とする社会問題。従軍慰安婦は、「軍隊慰安婦」ともいい、多くは朝鮮人でその数は焼く8~20万人と推定。慰安所設置の目的は、軍人への性的感染の予防と、軍人による強姦を減らすことであった。 1991年、韓国人の元従軍慰安婦3人が名乗り出て、日本政府に補償を求める訴訟を起こしたことが発端。 元従軍慰安婦による個人賠償請求と日本政府の国家的関与責任を認めた上での謝罪の要求に焦点があてられた。国家の関与による「強制」はなかったと称し、中学校教科書の従軍慰安婦の記述を“自虐的”として、その削除を要求する論争も。
対応
日本政府の対応
日本政府は国家としての個人補償・個人賠償の一切拒否を方針とする。
1993年 日本政府は韓国で元慰安婦の聞き取り調査を行い、「強制」があった事実を公式に認め謝罪
1995年 日本政府は民間団体として「女性のためのアジア平和国民基金」を創設させ、民間基金での「支給」を画策
1996年 首相の「おわびの手紙」と200万円の「償い金」の「支給」を開始。しかし、大部分の元慰安婦は国家責任の曖昧さを理由に受け取りを拒否
国際連合の対応
国連人権委員会が1996年、「女性に対する暴力」に関する決議を採択。
1996年 “女性に対する暴力特別報告官の報告”(クマラスワミ報告)を発表。旧日本軍の従軍慰安婦を“性奴隷”と定義し、“人道に対する罪”への該当を言及。①法的責任の国家的承認、②個人賠償、③資料公開、④個人への公開う書面による謝罪、⑤教育現場での理解促進、⑥慰安婦の募集・慰安所にかかわった犯罪者の追及と処罰の可能な限りの実行を提起。
「強制」の意味
従軍慰安婦への「強制」とは官憲の直接的関与だけではない。「慰安所での強制、未成年者(21歳未満)の使役とその強制、徴募時の強制(前借金にとる高速、就業詐欺、拉致・誘拐、権力乱用、官権による奴隷狩り的連行。徴募は軍の選定した業者が行っていた。)」も明確な「強制」である。
国際法上の論点
日本政府は以下の条約等(主要なもののみ)に明白に違反している。 1904年 醜業を行はしむる為の婦女売買取締に関する国際協定(日本は1925年批准)
1907年 ハーグ条約付属文書の“占領地の尊重”規定(日本は1911年批准、慣習法)
1910年 醜業を行わしむる為の婦女売買取締に関する国際条約(日本は1925年批准)
1921年 婦人及自動の売買禁止に関する国際条約(日本は1925年批准)
1930年 強制労働に関する条約(日本は1932年批准)
1945年 サンフランシスコ平和条約でその定義を受認した東京裁判での“人道に対する罪”
国際条約の問題点
醜業を行わしむる為の婦女売買取締に関する国際条約の植民地適用除外規定 台湾(1895年 下関条約で植民地化)、朝鮮(1910年 韓国併合で植民地化)を中心に徴募を強行
参考
駿台日本史科編『日本現代史徹底整理(戦後史)』 2007年
濱井修監修 小寺聡編 『倫理用語集』2005年 山川出版