手取川の戦い
出典: Jinkawiki
織田信長との同盟を破棄した上杉謙信は、まず、能登畠山氏を標的とした。この時期、畠山氏は内紛で揺れており、検診は、能登を支配下に置くため、1576(天正4)年、畠山氏の居城である七尾城に兵を進めた。
畠山氏はよく戦い、一度は上杉軍を撃退したものの、翌年再び包囲されたため、畠山氏の重臣たちは織田家に救援を要請した。これを受けた織田信長は、北陸方面の軍勢を指揮していた柴田勝家に、丹羽長秀や滝川一益、羽柴秀吉といった重臣をつけ、大軍を送り出した。
ところが、秀吉が総大将の勝家と対立し、勝手に軍を抜けるなど、戦う前から織田軍の足並みは揃わない。ようやく加賀の手取川を渡ったところで「七尾城陥落」の一報が届き織田軍が撤退を始めたころ、上杉軍が出現し、織田軍は敗走した。この手取川の戦いについては行われなかったとの説もある。また一説では、織田軍が増水した手取川を渡河中に上杉軍の攻撃を受け、数千の死傷者を出したといわれている。
参考文献:図解日本史・図解戦国史(成美堂出版)