手話2
出典: Jinkawiki
手話2
手話が日本で発達し始めたのは、1980年代以降である。聴覚障害者の社会的活動の広まりや、高等教育への進出などから、新たな手話がつくられ、数万語に達しているともいわれている。 この前段階に当たる海外での事象を見ていこう。
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口話法
1840年ころドイツのヒル(Friedlich Moritz Hill)(1805‐74)により,日常生活の中で周囲の事物を見たり触れたりしながら母親に話しかけられ,自然に言葉を理解し話すことを学ぶという,普通児と同じ方法で聾啞(ろうあ)児に言葉を発達させる原理,具体的には母親法の原理,直観法の原理,話し言葉を言語の基礎とする原理,初めから話すことを教授の手段とする原理といったようなもの確立され,聾教育における口話法体制が成立した。特に1880年のミラノにおける第2回国際聾教育者会議で,口話法の優秀さとその採用が決議されて以来,口話法は各国で優勢となり,手話法や手話と口話の併用法を圧倒するようになった。もっとも,アメリカでは口話法と併用法の併立が続いた。
チンパンジーによる手話
ヒトは直立することによって気道の自由な開閉が可能になり,有節音の発声ができるようになったのだという。実際,チンパンジーにヒトの音声言語を習得させることはできないが,1970年以来の多くの研究によってチンパンジーが手話を覚え,絵札や鍵盤による人造語を習得する能力のあることがわかった。すなわち,平叙文ばかりか疑問文や仮定法までも理解し,つくり,表出する能力があるということである。
身ぶり語
身ぶり語の中で手による意思や感情の表現は多く,手や指が同じ形でも各民族によってその意味は異なる。聾啞者の手話は手指の形と動きによって抽象的な観念も伝達できるまでに発達しているが,語順など文法の多くは口語に基づいており,各言語によって同一の意味を現す手の形や動きの違う場合が多いので,手話にも翻訳が必要である。インド古来の舞踊は手の表意を重視しているが,日本の文楽や能も顔の表情に頼らず,手や指の微妙な運動に技巧を凝らしている。
指での表現
握った示指と中指の間から拇指を出したり,片手の拇指と示指のつくる輪の中に他側の示指を出し入れするしぐさが,もっぱら性器や性交を示すなどとあるが,前者はすでに,シェークスピアの戯曲にも侮べつと性的罵倒(ばとう)のしぐさとして見られる。これらの身ぶり語を手話として体系化することは,17世紀にスペインで始められ,18世紀中葉パリに世界初の聾学校を建てたエペーによって本格的に整備されたといわれる。両手の指でアルファベットを表す方法で,やがてヨーロッパ各地に広がり,指による表意の方法を加えて改良を重ね,現在に及んでいる。
参考文献 米川昭彦『手話という言葉』(2002)PHF新書 投稿者 m.y