持続可能な開発
出典: Jinkawiki
目次 |
概要
「環境と開発に関する世界委員会」(委員長:ブルントラント・ノルウェー首相(当時))が1987年に公表した報告書「Our Common Future」の中心的な考え方として取り上げた概念で,「将来の世代の欲求を満たしつつ,現在の世代の欲求も満足させるような開発」のことを言う。この概念は,環境と開発を互いに反するものではなく共存し得るものとしてとらえ,環境保全を考慮した節度ある開発が重要であるという考えに立つものである。
背景
日本では戦後の高度経済成長期に公害問題が顕著化し、住民に大きな被害が発生した。特に、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病及び四日市ぜんそくの「四大公害病」は、社会問題として大きく取り上げられた。一方で、欧米等の国々も酸性雨や農薬等の化学物質を始めとする環境問題に悩まされており、米国の生物学者であるレイチェル・カーソンが1962年に出版した「沈黙の春」は、殺虫剤等に含まれていたDDT等の化学物質の危険性を訴え、世界の環境保護活動の端緒となった。このように、公害のような環境問題は人類の永続的な繁栄を脅かすものとして考えられるようになった。
国際的な会議
1992年 「国連環境開発会議」(「地球サミット」)
1997年 「国連環境開発特別総会」
2002年 「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(「ヨハネスブルグ・サミット」)
2012年 国連持続可能な開発会議(「リオ+20」)
持続可能な教育
概要
ESDとはEducation for Sustainable Developmentの略で「持続可能な開発のための教育」と訳されている。いま、世界には環境、貧困、人権、平和、開発といった様々な問題がある。ESDとは、これらの現代社会の課題を自らの問題としてとらえ身近なところから取り組むことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すこと、そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動である。
経緯
「持続可能な開発」のために教育が極めて重要な役割を担うことについては、1992年に開催された地球サミットの際にも認識されており、同サミット後、国連持続可能な開発委員会(CSD)においてユネスコが中心となって「持続可能な開発」のための教育のあり方について検討が進められた。 国連持続可能な開発会議実施計画の交渉過程で、国内NGOの提言を受け日本が提案し、各国政府や国際機関の賛同を得て実施計画文書に「2005年から始まる『持続可能な開発のための教育の10年』の採択の検討を国連総会に勧告する」旨の記述が盛り込まれることとなった。これを受け日本より、第57回国連総会の際に「持続可能な開発のための教育の10年」に関する決議案を提出。日本の働きかけによって先進国と途上国の双方を含む47ヶ国が共同提案国となり、満場一致で採択された。
持続可能な開発の今後
今日、環境を支え持続させる必要についての認識は、国連のほとんどすべての活動に反映されている。国連と各国政府、NGO、学術団体、民間との間にパートナーシップが生まれ、それによって環境問題に対する新しい知識や具体的な行動が生まれている。国連にとっては、経済社会活動と環境の保全は表裏一体である。持続可能な開発を達成するために、あらゆるレベルでの経済、環境、社会の関心事の一体化を図ることが今後の課題とされている。
参考
外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/sogo/kaihatsu.html