振武寮

出典: Jinkawiki


目次

振武寮とは

 現在の福岡に設置されていた施設であり、戦後長らく知られることのなかった施設でもある。


概要

   特攻隊員として出撃したが、悪天候・エンジントラブル・機器トラブル・敵機の攻撃のような外的要因から、内的要因まで様々な要因により攻撃に至らずに基地に帰還した特攻隊員が収容された施設である。 特攻は一方向・一回限りの攻撃であり、その原則を崩すと隊員の士気に関わると考えた特攻隊の指揮官は、これらの帰還特攻隊員を他の特攻隊員から隔離するべきと命令を下したとされる。また死して特攻隊員は軍神となったと当時周囲には知らせていたために、実は生きていたとなると大本営発表の虚偽が露見するところとなるため、一般軍人からも隔離されたといわれている。振武寮に送致された帰還特攻隊員が、自分より先に特攻で出撃し戦死したとされていた同僚と再会することもあったという。 帰還した特攻隊員は帰還の直後、即座に振武寮にて事実上の軟禁状態に置かれることになる。振武寮の日々は反省文の提出、軍人勅諭の書き写し、写経など精神再教育的なものが延々と続けられた。死して軍神となるはずの特攻隊員が生きて戻ってきたことは激しく非難され、「卑怯者」「国賊」と罵られたという。振武寮の目的は帰還隊員にもう一度死を覚悟させて特攻に赴かせるものであったともいわれ、隊員のなかには精神的に追い詰められ、自殺を図る者もいたといわれる。


生き残った司令官

 特攻隊を指揮した倉澤少佐、菅原中将は「必ず後を追う」と特攻するまだ17、18歳の青年たちに言っていたが終戦後もぬくぬくと生き続けていた。「死ね」と命令したのにもかかわらず自分は何も知らないかのように倉澤は86歳まで、菅原は96歳まで生き延びた。


参考文献

特攻隊振武寮ー証言帰還兵は地獄を見たー 講談社 2009

NHKの番組「ETV特集」『許されなかった帰還 ~福岡・振武寮 特攻隊生還者たちの戦争~』(2006年10月21日 22:00-22:45放送、NHK教育)


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