教育(心)

出典: Jinkawiki

人間の人間である中心は何か この「人間」に関する問題について、数学者の岡潔は、小林秀雄との対談(『人間の建設』新潮社・一九六五)の中で、人間の人間である中心について、およそ次のように述べている。 それは、「理性でも、科学性でも論理性でもない、情緒であり、広い意味での心である」と。このことから、個々の子どもを、それぞれに善くするためにはたらきかける教育においては、人間の人間である中心としての「感情」を美しい感情に、「心」を豊かに育てることが中心的な課題になると言える。 私は、大学の授業で、ある日、学生から、「先生の言われる心とはどのようなものですか」と問われたことがある。その学生の質問に対して、私は、およそ次のように私の考えを述べて納得してもらったことをおぼえている。 「私は、きょうも私のことばによって、みなさんにお話をしていますが、その私のことばのもとになっているものが私の心だと考えています。私の話を聞いて、皆さんが、よくわかるとか、よくわからないとか、温かい感じがするとか、冷たいと感じたという場合、それは私の心が、そのことにかかわっていると思うのです。要するに、私の言行のすべてにおいて、そのもとになっているものが、私の心であるということであり、そのすべての言行が、私の心の表現であると思っています」と。 そして、人間の心の表現として、私自身が共感とともに感動して心に刻んだ次の事例を提示して、受講の学生に考えてもらったことであった。 その一 「金魚売り 買えずに囲む 子に優し」(吉屋信子作) 金魚売りの人の心の優しさ、その状況を詠む作者の心が、温かく伝わってくる。 その二「深雪せる道に小さな沓のあと われこそ先にゆかはしものを」(小学校教師の作) 長野県の教育委員会は、教員採用試験の小論文のテーマに、この和歌を提示して、この和歌に対する受験生の思いを求めている。 この和歌に接すると、作者の教え子たちに寄せる教師としての純粋で温かい愛情が伝わってくる。そして、心がゆすぶられる。

参考  心の教育とは何か 真の人間形成をめざす教育説話

投稿者 けんけん


  人間科学大事典

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