斎藤一
出典: Jinkawiki
斎藤一は、幕末から明治にかけて活躍した武士。1863年、新撰組の前身、壬生浪士組に入隊し、その後、新撰組では三番隊組長や撃剣師範などを務める。1868年1月に鳥羽伏見の戦い、3月に甲州勝沼の戦いと転戦し、いずれも第一線で戦った。同年4月には、斎藤をはじめとする新撰組は会津藩の指揮下に入り、白河口の戦いに参加。8月の母成峠の戦いにも参加した。敗戦により鶴ヶ城下に撤退したが、斎藤は会津に残留し、会津藩士とともに新政府軍への抵抗を続けた。会津藩が降伏した後も斎藤は戦い続け、容保が派遣した使者の説得を受け入れてやっと新政府軍に投降した。降伏後は捕虜となった会津藩士とともに、謹慎生活を送った。
明治以降は東京に移住し、新たに募集された警視官に採用された。明治10年(1877年)には警視局警部補に任ぜられる。同年2月に西南戦争が勃発し、抜刀隊として参加した。抜刀斬り込みの際に銃撃戦などで負傷するが、天才的な剣技と指揮力で薩摩藩を圧倒し活躍した。
明治24年(1891年)警視庁を退職し、その後は東京高等師範学校などに警備員として勤務した。
大正5年(1915年)胃潰瘍のため死去した。
参考文献
斎藤一の謎 赤間倭子著 新人物往来社
新撰組銘々伝2 新人物往来社編 新人物往来社