本初子午線
出典: Jinkawiki
本初子午線
本初子午線(ほんしょしごせん)とは、グリニッジ子午線(グリニッジしごせん)とも言う。 ロンドン(の旧グリニッジ天文台、Greenwich公園)を通っている。 この子午線が経度の基準である経度0°0′0″と定められている。
旧王立グリニッジ天文台の跡地を通る子午線(経線)のことで、「本初」とは「最初」という意味。 グリニッジ標準時を決める基準になっている。 GPSなどで用いられているWGS84測地系で使用されている子午線は天文台から102.5m東にずれている。
歴史
そもそも、グリニッジ天文台は、子午線を決定するための観測のために設置された。 現在は天文台としての機能はない。
初代台長ジョン・フラムスティードは、グリニッジ天文台で観測した厳密な恒星図を作り、世界各地でグリニッジとの観測時間の差を測定すれば、グリニッジ天文台との経度差が分かると考え、フラムスティード天球図譜という星図を製作した。この星図は、その後、航海者によって広く使われた。
一方、他国もそれぞれの国の天文台を基点とした星図を作った。 しかし、1750年代、イギリスが世界的な海運国になると、星図もフラムスティードのものが全ヨーロッパ的に使われることが多くなった。
その後、鉄道網が整備されると、国際列車の運行の際に、全世界的に標準的な時刻と子午線が必要とされはじめた。
1850年、アメリカ合衆国は、グリニッジ子午線を基準に採用した。 アメリカは領土が東西に長く、広い鉄道網を持っていたため、国内で統一した子午線を使うことが必要とされていたためである。
一方、1875年、国際地理学会は、カナリア諸島フェルロを基点とする子午線を基礎子午線とすることを決議した。 全世界的に採用するには、特定国の首都などは避けたほうがいいという主張を受け入れたものだが、実際にはカナリア諸島を基点とすると、パリを基準にするのとほぼ同じ意味になる(経度差がちょうど15度のため)という理由であった。 しかし、この基礎子午線はフランス以外の国には非常に不評だった。
ちなみに、
グリニッジ天文台が、ケンブリッジに移転したのは1990年。
本初子午線は、(ロンドンのGreenwich公園)を通っているが、地球の規模で言えば、大差ない。
1881年に再度開かれた国際地理学会では、カナリア諸島は基点としては不適で、重要な観測拠点となりうる天文台を基点とするべきだという主張が行われた。
1884年10月、アメリカ合衆国の提案で国際子午線会議がワシントンD.C.で開かれた。フランスは、中立国を基点とするよう主張したが、フランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられなかった。投票の結果、グリニッジ天文台を基点とする案が採用され、グリニッジ子午線は国際的な本初子午線となった。
日本では、江戸時代以前には暦の計算や測量などには京都にあった改暦所という役所を通る子午線を基準(本初子午線)としていた。 明治4年に日本の本初子午線は東京を通る子午線に移された。1886年(明治19年)7月13日の勅令「本初子午線經度計算方及標準時ノ件」で、グリニッジ子午線を本初子午線として採用することが定められた。
フランスは1911年3月9日にグリニッジ子午線を採用した。
http://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_276.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q137230038