本質主義

出典: Jinkawiki

本質主義(ほんしつしゅぎ)
○本質主義とは
 本質主義とは、事物の変化しない核心部分である本質を自立的な実体、客体的な実在物であるとみなした上で、個別の事物は必ずその本質を有し、それによってその内実を規定されている、という考えのことである。さらに具体的に、社会科学や政治的な議論において、一定の集団やカテゴリーに、超時間的で固定的な本質を想定する立場を指していうことが多い。事物とその本質との関係は客観的で固定的なものであり、個物は本質の派生物、あるいは複製としての側面を持つものとみなされる。  また、すくなくとも論理的な順序としては、本質が現実存在に先立つものとされ、本質が現実存在から事後的に抽出・構成されるとは考えない。事物とその本質との関係はアプリオリなものであるから、事物が現実に存在する文脈からは独立しており、その事物がその事物である限り、その本質は同一不変であるとみなされる。

○本質主義者
 アメリカの伝統主義に属する教育思想家の一派である。文化遺産の伝達を教育の主要機能とみなし、生活現実に有効に適応するために必要な文化遺産の共通の中核(一定の知識、技能、態度、理想など)を、教師が責任をもって教科ならびに教師の活動の体系的計画によって教えるべきであると主張する。したがって本質主義者は、こうした教育における本質的なもの、必須要素を習得させるために、児童の努力や訓練の必要性を強調する。進歩主義者が児童の健全なパーソナリティの成長を目指し、児童の興味や自由、自発性などを重視するので、両者はよく対比される。エッセンシャリストとも言う。この呼称は、1935年デミアシュケビッチによって初めて用いられ、38年バグリーを中心に、進歩主義教育運動に対抗して「アメリカ教育の前進のためのエッセンシャリスト委員会」が結成されて注目を集めた。彼らの運動そのものは比較的短命に終わったが、その教育思想は今日多様な形で受け継がれている。例えば、日本における1950年代後半から70年代にかけてのカリキュラム改革は、エッセンシャリストの主張と一致する部分が多い。

○議論
本質主義は、現実の存在をその本質によって脱文脈的に根拠付けられているものとみなす側面を持つため、既存の見方、分担、体制化を擁護するものとみなすことも出来る。そのため、しばしば60年代以降の多様化した、差異と変化を何らかの意味で肯定する政治的な議論の文脈において、偏見の背景をなしたり、それを強化しているものとして批判されてきた。しかしまた、リベラルな立場からの本質主義批判に対しては、保守的で本質主義的な立場からだけではなく、進歩的な、あるいは左翼的な立場から抑圧される側の対抗的なアイデンティティの主張まで否定するものであるという批判もなされており、その社会的・政治的な文脈での含意は単純ではないようである。


<参考文献>
・フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia) 『本質主義』
http://100.yahoo.co.jp/


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