条坊制
出典: Jinkawiki
古代日本における都城(京)の格子状の都市計画で、中国の長安を手本とし、大路・小路と呼ばれる街路により格子状に区画されている。 藤原京で確認されたのが最初で、それ以前は不明である。その他にも都であった平城京・長岡京・平安京や太宰府・多賀城などが条坊制であった。
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平安京の条坊制
条坊制が施された範囲は東西約4.5キロメートル、南北約5.2キロメートルで大内裏と羅城門を結ぶ中央に朱雀大路を南北に走らせ、それを境に左京と右京に2分割した。 平安京の範囲は朱雀大路と平行して南北に計9本の大路と、これらと直行しながら東西に走る一条~九条の計11本の大路によって区画された。 このような大路によって区分された東西列を条、南北列を坊と呼んだ。 平安京の条坊は左京・右京にそれぞれ九条と四坊だが、北に半条分の北辺坊がついた。 区画としての坊は朱雀大路に近い方から左京は東、右京は西へそれぞれ一坊~四坊と呼んだ。律令制では京職の管轄下におかれ、各坊に坊長1人、各条の四坊ごとに坊令1人が任じられ民の監督や税の取り立てなどにあたった。 1つの坊を縦横各3本の小路で16区分し、その一画を町(ちょう)とした。町は朱雀大路側の北から南に1~16まで数え、「左京三条四坊二町」というような位置表示をした。一町に規模は道路を除いて約120メートルと固定されていた。四町をひとつの単位としたものを保といった。
一坊=四保=十六町
条坊制で区画された平安京の中には大内裏以外に八町を占める神泉苑、各十二町の東西の市、各四町の東寺と西寺などがあった。
参考文献
『平安京再現』 井上満朗著 河出書房新社
『平城京』 平城遷都1300年記念2010年委員会著 小学館