東京大空襲

出典: Jinkawiki

目次

概要

1945年(昭和20年)3月10日未明、グアム、サイパン、テニアンから飛来したアメリカ軍のB29爆撃機279機が、低空で東京上空に侵入、現在の江東区、墨田区、台東区を中心に二時間あまりにわたり爆撃した。約1665トンの焼夷弾が投下され、下町一帯は猛火の海となって焼き尽くされ(焼失面積40.9平方キロメートル)、約10万人の市民が犠牲になった。



戦時中の国内での報道

陸軍、海軍の最高統帥機関である大本営は、3月10日の空襲の後、次のように発表している。


 本三月十日零時過ヨリ二時四十分ノ間B29約百三十機主力ヲ以テ帝都ニ来襲市街地ヲ盲爆セリ。 右盲爆ニヨリ都内各所ニ火災ヲ生ジタルモ宮内省主馬寮ハ二時三十五分其ノ他ハ八時頃ニ鎮火セリ。 現在マデニ判明セル戦果ハ次ノ如シ。


 撃墜十五機  損害ヲ与エタルモノ 約五十機

※注)この報道に関しては信憑性の有無について諸説ある。


爆撃機B-29

アメリカの戦略爆撃機。B29は、「ボーイング29」の略。 Bは、Bomber(爆撃機)のB。 両翼の先端から先端までは、43.1m、全長30.1m。(零戦は、11.0) 5000Km以上の航続飛行が可能。


昭和19年、アメリカ軍の反撃によって、東京から2600kmの距離にあるマリアナ諸島が陥落した。 これにより、B29を使用することで、それまでは不可能だった帝都・東京への大規模空爆が可能になった。


焼夷弾

焼夷弾とは、家や建物を焼き払うのに用いる爆弾。地面に着地すると、円錐状に可燃性が強く、粘性のある液体(ナパーム剤)を射出し、それに引火させ、あたりを焼き払うための兵器。


日本の家屋は木造が多く、焼夷弾を使用することで火災発生が容易とみなされ、日本への空襲では大量に投下された。 アメリカ軍は、100ポンド焼夷弾と、油脂焼夷弾を束ねた500ポンド集束焼夷弾を使用。 3月10日の大空襲では、100ポンド焼夷弾が3700発、500ポンド焼夷弾が投下された。

3月10日から5月25日までの5回にわたる大規模空襲により、東京は90平方キロメートルを焼失(全市の50.8%)。 計100回以上の空襲によって、10万人以上の死者がでた。


参考文献

『戦略 東京大空襲』E・バートレット・カー著 大谷勲翻訳 光人社発行


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