柿本人麻呂
出典: Jinkawiki
持統天皇の行幸に従い歌を詠むなど、皇族に挽歌を捧げる立場にあった柿本人麻呂は、「万葉集」第一の歌人である。しかし人麻呂の記録が、正史である『日本書紀』『続日本紀』にはまったくないのである。 平安時代の『古今和歌集』の仮名序で、紀貫之は「正三位の柿本人麻呂は歌の聖」と崇めた。しかし、正三位の地位ならば、正史に記録が残るはずである。そのため、江戸時代の国学者・加茂真淵は正史に残らない正六以下の下級官吏として生涯を終えたと結論づけている。 最期の地として有力視される石見国(島根県)は、政争に破れた左遷地だったとする説である。その経歴は伝説の域を出ないが歌聖としての名声は後世でも揺らぐことはない。藤原公任によって三十六歌仙のひとりに選ばれたのをはじめ、藤原定家の『小倉百人一首』にも名をつられており、多くの神社で奉られている。
参考文献 『日本史1000人上巻』 世界文化社 『日本史研究』 山川出版社