桜田門外の変2
出典: Jinkawiki
桜田門外の変 水戸藩への圧力
安政の大獄」によって攘夷派の動きを封じた井伊直弼は、さらに尊王思想中心であり、先の孝明天皇の勅諚を画策した水戸藩に圧力を加えるのである。その目的は幕府に水戸藩との協力体裁を取るように命じた勅諚を、朝廷に返上させるためだったのである。安政の大獄によって厳しい断獄が下された水戸藩にとってこの圧迫は幕府と井伊に対して怒りを大きくさせるものとなるのである。
決起
勅諚返上に反対する激派の藩士は、同じく井伊に反対する薩摩藩士と共謀し、井伊の暗殺計画を立てるのである。午前9時に外桜田の彦根邸を出発した井伊一行は、直弼の乗る駕篭を中心に徒士、槍持ち、草履取りら60名の堂々たる行列を組み桜田門外にさしかかった。 その時大名の登城を見物していた一団の中から、一人の侍が訴状をもって行列に走ってきた。大老への直訴だと思った共侍がこれを制止しようとすると、男はいきなり切りつけ、さらに先頭の槍持ちの槍を奪おうとしたのである。すぐに警護の武士たちが、駕篭を離れてこれを防ごうとすると、一発の銃声を合図に残る一団が駕篭に殺到し、井伊を刺し殺したのである。この日は春にもかかわらず大雪で、侍たちは雨具を着ており有効な反撃もできないまま切り殺されてしまったのである。駕篭の中から井伊の体を取り出し首を取った襲撃者たちは、日比谷門に向って逃走しこの惨劇は幕を閉じたのである。
事件の反響
白昼の江戸の城下で起きた大老暗殺事件は、国民に衝撃を与えたのである。かわら版は多数売り出されたが、安政の大獄によって恐怖政治を敷いた井伊直弼は、赤鬼と言われるほど庶民から嫌われていて、暗殺を揶揄する狂歌や川柳も次々に作られていったのである。
参考文献 幕末維新ガイド まるわかり日本史