民族紛争2

出典: Jinkawiki

目次

民族紛争

民族紛争とは

 民族紛争とは、民族が異なるとする人々の間で起こる紛争のことを言う。複数の民族間の武力抗争、少数民族の政治化した紛争、複数国家に分離させられた民族間の対立などがある。

世界各地の民族紛争

・スリランカ紛争(1983.7~2009.5)  

発端は言語をめぐる対立である。スリランカ独立後、公用語はシンハラ語とタミル語に決定された。しかし、民族的多数派シンハラ人の一部の政治家は政争に勝利するためにシンハラ民族主義を利用する。そしてシンハラ人民衆を動員する手段として、シンハラ語のみを公用語する「シンハラ・オンリー政策」が選択されるのである。  一方、民族的少数派のタミル人はこれに反発する。1972年の憲法においてスリランカのシンハラ性が明確に打ち出された為、タミル人はそれまでのスリランカ連邦化によるシンハラ人との「同居」を断念して独立を目指すことになる。テロ組織が設立され、その中心は後の「タミル・イーラム解放の虎」であり、この組織が民族紛争における一方の当事者の中核となり、1983年内紛が勃発する。

・ルワンダ紛争(1990.10~1993.8)  

この紛争の当事者となった民族はフトゥ人とトゥチ人であるが、両者の区別は本来的には民族的なものではなく、社会的階層的なものであった。それが、第一次世界大戦後、ベルギー統治時代に民族的なものへと転化されたのである。ベルギー統治時代は少数派のトゥチ人がルワンダの支配立場にあった。しかし脱植民地化の過程で、「社会革命」によってフトゥ人が支配手的となり、大量のトゥチ人が国外に脱出した。彼らは隣国からの侵入を繰り返し、国内ではフトゥ人による報復が行われた。  ルワンダ政府の支配基盤はフトゥ人にあったが、時代を経るに従って、同じフトゥ人でも一部の地域出身者や大統領の親族へと次第に狭くなっていった。そのルワンダを経済危機が襲った。1990年1月には亡命トゥチ人による武装組織のルワンダ愛国戦線が、ウガンダから侵攻した。これにより、急進的なフトゥ民族主義が高まったのである。

原因

 民族紛争の発生にはいくつかの条件と要因がある。まず、民族紛争が発生するには、複数の民族の存在が最低限の前提である。ある国家において、その領内に単一の民族しか居住していなかったり、圧倒的多数が同一の民族であったりすると、武力紛争は起きにくい。  要因としては、構造的、政治的、経済的、社会・文化的という4つに分けることができる。

・構造的要因―居住分布

・政治的要因―民主化

・経済的要因―貧困

・社会・文化的要因―歴史

参考文献・URL

「民族紛争」月村太郎 著 岩波新書 2013.6.20 発行

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投稿者 H.K


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