民族紛争3

出典: Jinkawiki

目次

民族紛争とは

民族を主体とした紛争を民族紛争と呼ぶ。 これは(1)複数の民族間の武力抗争(ルワンダ,スリランカなど),(2)少数民族の政治化した運動(東ティモール,チベット,チェチェンなど),(3)複数国家に分属させられた民族集団の自治・統合運動(クルド人,バスク人など),(4)複数のエスニック‐グループが混在していた地域から支配的集団が他集団を強制的に排除するような「民族浄化」(コソボでの虐殺・暴行,ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争での他民族の排除・殺戮,イスラエルの拡張にともなうパレスチナ人追放など)などである。


要因

複数の民族が同一の地域に存在する場合、言語・宗教・文化・生活様式などの差異は、社会的緊張の一因となり、紛争の対立点となることが少なくない。また、特定民族が富や権力を独占した場合、他の民族との緊張が誘発される傾向にある。また近年では、人の移動が活発化し、異なる民族の接触する機会が拡大したこと、メディアを通じて民族間の相異が強調されることも、民族間の摩擦を増やした。

民族紛争という表現には、紛争の原因が民族の差異にあり、民族対立は歴史の宿命であるかのような意味合いを含んでいる。しかし、民族の差異が流血の武力紛争になる要因は複雑で、ある勢力が民族感情を煽り立てた結果として、紛争が民族間の殺し合いという様相を帯びているようになるなど、民族間の差異そのものが武力紛争の原因だとはいえない場合も多いことに注意を要する。


現在の主な民族・地域紛争とその背景

チベット独立運動・・・チベットは中国内で「自治区」を形成していたが、1959年に共産党支配への反乱が発生。政治、宗教上の最高権力者ダライ・ラマ14世はインドに亡命し、中印対立の最大の要因の一つとなっている。

新疆ウイグル紛争・・・ウイグル族は中央アジアの砂漠地帯で暮らすトルコ系民族で、多くがイスラーム教徒。新疆は中国北西部の呼称で「東トルキスタン」とも。中華人民共和国成立後その統治下に入ったが、石油・天然ガスを産し、中国の核実験場ともなったことから、共産党政権への反発が強い。

クルド人問題・・・トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニア、アゼルバイジャンの国境付近に居住する民族(スンニー派イスラーム教徒中心)。いずれの国においてもマイノリティとなり、自治を要求している。

ダルフール紛争・・スーダン西部ダルフール地方に居住するザガワ族、フル族などがアラブ系でイスラーム教徒中心の政府軍と対立、2003年以降の衝突で20万人が犠牲となり、200万人以上が難民となった。

ケベック州問題・・・カナダは英子国から独立したが18世紀半ばまではフランス植民地で、特に東部のケベック州(人口は国土の約1/4)は、現在でもフランス語を話す人口が9割近くを占める。国全体としては二言語政策をとっているが、同州内でフランス語志向が強く、国からの分離独立運動もある。


難民問題

これらの地域紛争では、軍隊や警察組織による暴力行使もさることながら、武力集団や自警団が殺戮や迫害の主体となった。こうした紛争では、力の弱いもの、とりわけ子dも太刀を悲惨な状況に追いやる。それは紛争で家族を失い、傷を受けるような犠牲に限らない。特にアフリカでは、多くの子供が「子供兵士(チャイルド・ソルジャー)」とされ、大人たちの戦いの道具となっていて、殺し、また、殺されている。パレスチナでは女性や13歳のどもによる自爆テロさ生じている。こうした暴力の拡散お腹で無辜の人々が殺害され、また、暴力の恐怖から国外まで逃れて難民になている。


救済問題

冷戦終結後の民族紛争の多発で、90年代に難民は増加した。もちろんその発生に対しては第一義的には発生国が責任を持つべきだが、その救済は国際的な義務であり、とりわけ先進国の協力が欠かせない。国連でこの業務にあたるのがUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)である。2013年には世界の難民は約4831万にんに及んでいる。


参考文献

「現代政治・経済」 清水書院(平成28年2月10日)

「まとめ直した高校世界史 上巻・下巻」 川音 強 清水書院(2014年9月10日)


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