水俣病3
出典: Jinkawiki
熊本県水俣湾周辺と新潟県阿賀野川流域で発生した、水銀を含む工場排水による有機水銀中毒症。チッソ水俣工場(熊本県水俣市)のアセトアルデヒド(acetaldehyde)製造工程で触媒として使用された無機水銀が、工程内で有機(メチル)水銀に変化し、排水として水俣湾に流出した。海水や底質中の低濃度のメチル水銀をプランクトン類が吸収し、食物連鎖で生物濃縮して高濃度となったメチル水銀を含む魚介類を食べた水俣湾付近の漁民らが、中枢神経障害を起こすメチル水銀中毒になった。1956年に発見され、熊本県水俣市で発生したので、地名から水俣病と名付けられた。イタイイタイ病に次ぐ第2の公害病に認定された患者は約2300人にのぼり、水銀中毒症状を有しながら認定されず、94年に一律260万円の補償金で和解した約1万人の未認定患者や、発見前に死亡した患者を含めると約2万人が被害を受けた。65年には、新潟県の阿賀野川流域で第2の水俣病が発見。水銀汚染源は、河口から約60km上流の鹿瀬(かのせ)町(現・阿賀町)にある昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程。水銀の流出メカニズムは、チッソ水俣工場と同様だが、川魚類を食べた流域住民に約700人の認定患者と2000人以上の未認定患者を発生させた。未認定患者らは認定を求めて訴訟を起こしており、未解決。