水俣病6

出典: Jinkawiki

目次

水俣病のはじまり

水俣病のはじまりは、1953年頃、熊本県水俣市で起きた奇妙な異変からだった。猫が狂って走り回りながら海に飛び込み、カラスや海辺に生息する鳥たちが次々と落下して死に始めた。そして、1956年に水俣市に住む5歳11ヶ月の女の子が、箸を使えなくなったり、歩行がふらつき、言葉が不明瞭になった。症状は、悪化し、ついには寝たきりになってしまった。また、直後に女の子の妹が全く同じ病状で発病した。そこから、何にも健康上の不安を抱えていなかった住民の中から続々と同じ病状が発病し始めたのだ。この患者たちを診察した細川一は、今まで見たことのない新しい病気に驚いて、「原因不明の中枢神経疾患が発生している」と水俣保健所に届け出た。

水俣病の三つの責任

1、発生させた責任  企業も行政も化学工場からでるメチル水銀化合物を事前に予知し予防しこのような惨事を防止する責任があった。 2、被害を拡大した責任  被害を最小限に食い止めるには、早急な原因究明と完全な排水処理や生産停止、漁獲禁止などの手を打たなければならなかった 3、救済を怠った責任  発生した被害者に対して、言い訳ばかりをして迅速かつ可能な救済をしなかった

水俣病の病態

しびれ感・関節痛・筋肉痛・言葉が出にくい・指先が利かない・躓きやすい・ふらつく・匂いが分からない・聞こえにくい・こむら返り・頭痛・物忘れ・不眠 感覚障害・小脳性運動失調・構音障害・求心性視野狭窄・運動失調・中枢性眼球運動障害・中枢性聴力障害がある。 このうち、感覚障害・運動失調・視野狭窄・聴力障害は、メチル水銀中毒の症状を初めて詳細に報告したイギリスの医師たちの名をとって、ハンター・ラッセル症候群と呼ぶ。 また、重病患者では、不穏・狂躁状態・意識障害、死に至るケースもあった。

ニセ患者

補償金目当てのニセ患者が沢山現れたという。認定審査会は偽物患者と本物の患者を見分けるのにとても苦労した。

参考文献

原田正純(1985)「水俣病は終わってない」縁川亨/ 水俣病に関する社会科学研究会 編集 橋本道夫(2000)「水俣病の悲劇を繰り返さないために 水俣病の経験から学ぶもの」中央法規出版株式会社


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