汎ヨーロッパ

出典: Jinkawiki

目次

概要

第一次世界大戦後、理念先行的だった初期の欧州統合論が現実化し、クーデンホーフ・カレルギー(Richard Eijiro von Coudenhove-Kalergi)が欧州域内に欧州統合の風を吹き込んだ。

クーデンホーフ・カレルギー

汎ヨーロッパを進め次第に実現していくのが、クーデンホーフ・カレルギー(Richard Eijiro von Coudenhove-Kalergi)でオーストラリアの思想家である。 オーストリア・ハンガリー帝国の駐日大使だった父ハインリヒと、東京生まれの青山光子の次男として東京で生まれる。一家はベルギー、ポーランド、ギリシャ、ベネチアなど欧州各地域の貴族の血を引く名門。領地のボヘミア(現在チェコ)で育った後、ウィーン大学で哲学博士。ウィルソン大統領の国際連盟創設などに影響を受け、汎ヨーロッパ主義の運動を開始。1992年にオットー・フォン・ハプスブルクらと汎ヨーロッパ連合を創設。

カレルギーの思想

①世界統一への前段階としての欧州連合 ②超国家規模の経済への対応 ③脱民族主義 ④反ユダヤ人差別 ⑤少数派の尊重 ⑥混血の勧め ⑦反共産主義(ソ連への対応) 彼は世界をアメリカ、イギリス、ソ連、アジア、欧州の5つのブロックに分けて概観し、その中で欧州が衰退を深めている理由として、第一次世界大戦の影響から脱していないことを指摘した。そうした欧州を再生するには、域内で小国に分けて従来のように覇を競うよりよ、アメリカのような統合力を持った「欧州合衆国」の設立を目指すべきだと世論に訴えた。

仕組み

統合論の仕組みとしては、まず各国の主権をベースにした欧州会議を開き、各国に共通する主要テーマごとに委員会を設けて、利害調整を進める。次いで、各国間の紛争処理を行う欧州仲裁裁判所を設立するほか、相互安全保障条約を結ぶことで、相互の信頼関係を強化する。第三段階は域内関税同盟と通貨同盟を結ぶことで、単一の欧州経済圏を築く。この場合、ソ連は対象外とされる。 彼は、自らの提案に基づいて、具体的な政治運動を起こした。汎ヨーロッパ運動構想を出版するとともに、汎ヨーロッパ連合を設立。各国にも汎ヨーロッパ協会を作った。運動に共鳴したフランスのブリアン首相は国際連盟総会で、「欧州連合」を提案し、ドイツのシュトレーゼマン外相も応じる形で、独仏協調路線を推進した。

参考

EU情報辞典

(tetsuo)


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