江
出典: Jinkawiki
江は別名、崇源院(すうげんいん)とも呼ばれる。ただ、世間一般では、江姫(ごうひめ)や、お江(ごう)の方として、知られている。1573年に生まれてから、1626年に没するまで激動の人生を過ごす。 浅井長政の三女として生まれる。長女には淀君(茶々)、次女には初(京極高次正室)をもつ。 お江は、3人姉妹で一番最初に御嫁として佐治一成のもとへ行く。これが12歳の時である。しかし、結婚もつかの間、同年に佐治一成は羽柴秀吉の怒りを買い、所領没収となり、秀吉も力で離別させられることになる。20歳になり、2度目の結婚として豊臣秀勝と結ばれる。だが、この結婚も4か月という短い間で幕を閉じる。秀勝の病死が原因である。そして、豊臣秀吉の命を受け、3度目の結婚をする。23歳の時、徳川家康の3男の徳川秀忠とである。江は、後の徳川三代将軍となる家光を出産する。その後、54歳でこの世を去るまで、秀忠と共に暮らした。 徳川将軍御台所で将軍生母となったのは、徳川の時代、崇源院だけである。混乱の中にいた前半生とは違い、後半生は将軍御台所として、平穏無事に過ごすことができた。 親族の死、政略や実家の跡継ぎ争いに巻き込まれた前半生とは違い、・将軍生母として安定した後半生を過ごした。
出典 日本歴史 武将・人物伝~戦国武将 お江、小督、お江与の方
http://www.jpreki.com/jp/
「江」(崇源院)の一生 http://www.tabisuma.jp/special/go/life.html