池上・曽根遺跡
出典: Jinkawiki
池上・曽根遺跡は近畿地方で発見された大規模な巨大環濠集落で、南北に1.5km、東西0.6kmの範囲に広がる総面積約60万㎡の遺跡である。大阪府和泉市池上町と泉大津市曽根町にまたがった弥生時代中期の国史跡でもある。
経緯
1903年:当時、中学生だった南繁則氏(1888~1969)によって石鏃が発見される。
1954年:泉大津高校地歴部によって土器収集が行われる。
1958年:市営住宅の建設に伴い、和泉市教育委員会によって発掘調査が行われ、弥生土器や炭化米が発見される。
1961年:府営水道敷工事に伴い、泉大津高校地歴部によって緊急調査が行われ、竪穴式住居の跡が発見される。
1967年:国道26号線建設に伴い、阪和「第二国道内遺跡調査会」が発足。鳥型木製品、龍などが描かれた土器、弥生時代最大級のヒスイ勾玉などが発見された。
1993年:集落を取り巻く溝が発見される。
1995年:大型高床式建物・楠木のくり抜き井戸が発見される。
特徴
池上・曽根遺跡が発見されたときは環濠集落として脚光を浴びた。池上・曽根遺跡は北九州の佐賀の吉野ヶ里遺跡などで見られるようなクニを守る防御用で壕も深くなっているところが多い。しかし、池上・曽根遺跡は壕が浅く防御用とは言いがたいため、生活用水に使われていたと思われる。弥生時代の生活や様式は西から東へと伝わったものだとされているので、時を経るうちに戦いのための物から生活用へと変化してきたと考えられる。そういう意味では拠点集落として「弥生都市」の性格を持っていたとも考えられている。 他にも1995年に発見された大型高床式建物と井戸は従来の弥生時代のイメージを覆すものとなって、出土した土器の絵をもとに現在、復元されて遺跡をもとにした池上曽根史跡公園の中心部分に立てられている。