泰緬鉄道

出典: Jinkawiki

別名を“死の鉄道”(DEATH RAILWAY)ともいわれる泰緬鉄道は、第二次世界大戦中に海上シンガポール経由でビルマ・インド戦線へ軍需物資を送ることが困難になりつつあった日本軍にとっての、内陸部を通る新しい輸送路として計画された。同盟国のタイからビルマへとジャングルを抜けて走る総全長415km(タイ側263km、ビルマ側152km)にわたる鉄道である。



泰緬鉄道の完成まで

1942年(昭和17年)9月16日タイ側のノンプラドックにおいて建設が開始された。この難工事には、約3万人の連合軍捕虜兵士、10万人以上のアジアス強制労働者(中国、インドネシア、ビルマ、マレーシア、インド、シンガポール、タイ)が投入され、そのうちの捕虜役1万6千人、そしてアジア人労働者10万人のほとんどすべてが、熱帯のジャングルのさまざまな疫病にかかり、医療品の不足などで死亡した。連合軍捕虜の死亡者は、戦後の生存者たちによって記録等が集められ、現在カンチャナブリ市内の数ヶ所の共同墓地に埋葬されていますが、名もなきアジア人労働者たちは今も密林の奥深く眠ったままである。戦中に調査を行った日本の技術者たちや、戦前の英国の調査隊は、泰緬鉄道の建設には最低5年を要するとの結果をはじき出していましたが、日本陸軍は戦局のひっ迫からわずか16ヶ月の突貫工事を試みたため、鉄道は翌1943年(昭和18年)12月25日、15ヶ月余という驚くべき早さで開通し、またそのために多くの犠牲をも生むことになった。


泰緬鉄道の現在

クワエ川鉄橋は、映画「戦場にかける橋」のモデルともなった有名な橋だが、日本軍の輸送網切断のための連合軍の爆撃の格好の標的となり、とくに多くの犠牲者を出したところでもある。現在も鉄道の一部(カンチャナブリからナムトクまで)はタイ国営鉄道によって運行されている。また、この記念鉄道に乗ると「クワイ河鉄橋横断鉄道乗車証明書」(英文)がサービスされる。


参考資料

・戦争博物館「JEATHミュージアム」パンフレット

・クワイ河鉄橋横断鉄道乗車証明書


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