清教徒革命
出典: Jinkawiki
17世紀、イギリスで生じた革命(1640-1660)
その過程でイギリスは一時、君主政が否定され、共和政となった。
30年戦争が終戦に向かうころ、イギリスでカルバン派(ピューリタン)が台頭して政権を掌握する。
イギリス
30年戦争の間、イギリスではカルバンの影響を受けてイギリス国教会内の改革を目指すピューリタン(清教徒)が勢力を伸ばしていた。 ピューリタンはジェントリと呼ばれる裕福な市民階層や富民の間に多く存在し、議会へと進出していった。
議会は1628年、王権神授説を背景に専制政治をすすめようとした国王チャールズ1世に、同意なくしての課税禁止など国王の権限を制約する要求(権利の請願)を突きつけた。
チャールズ1世は一旦これを承認したが、翌年、議会を解散した。 そして、イギリス国教会と密接な関係の下、専制政治をおしすすめたが、1639年、カルバン派の多いスコットランドでの反乱を招いた。
その対応のために議会が開かれたが、王党派と議会派に分裂し、1642年、両派の対立から国内は内乱状態となって、ピューリタン(清教徒)革命が始まった。 議会派軍はクロムウェルの指導で1645年に王党派軍を打ち破った。
しかし、議会派はクロムウェルらの独立派と穏健な長老派に分裂して対立したため、再び国内は内乱状態となった。
独立派は長老派を抑え、1649年にチャールズ1世を処刑して、共和政を始めた。 クロムウェルは、王党派に残るアイルランドやスコットランドを征服し、制海権をかけてオランダと戦い勝利し、独裁を開始した。
しかし、彼が死ぬと長老派が1660年にチャールズ2世を擁して王政が復古するのである。
参考文献
縦割り世界史 武光誠 ナツメ社
世界大百科事典 平凡社