渋沢栄一
出典: Jinkawiki
渋沢栄一
1840~1930 実業家。埼玉県の豪農出身。一橋家・幕府に仕えたが、維新後、大蔵省に出仕し、新貨条例・国立銀行条例などの起草にあたる。辞職後、第一国立銀行を初め、大阪紡績会社などの500あまりの会社を設立して、実業界の指導的役割をはたす。ちなみに群馬県の富岡製糸工場の操業にも関わっている。
マメ知識
日本史上を代表する経済人として、また初代紙幣頭(後の印刷局長)として日本銀行券(紙幣)の肖像の候補者として過去に何回か挙げられたものの実現には至っていない。特に日本銀行券C千円券(1963年11月1日発行開始)の肖像候補として最終選考に残ったが、結局伊藤博文が採用された。当時は偽造防止に、肖像にヒゲがある人物が用いられていたためである。
日本では渋沢の肖像を入れた紙幣は発行されなかったが、1902~1904年にかけて大韓帝国で発行された初期の第一銀行券の1円、5円、10円券には当時の経営者だった渋沢の肖像が描かれていた。
渋沢は晩年を川越市で過ごした。深谷市では、栄一の命日である11月が「渋沢栄一記念月間」に指定され、毎年イベントが催されている。埼玉県子ども会育成連絡協議会が発行した『さいたま郷土かるた』の「に」の項目は「日本の産業育てた渋沢翁」となっており、畠山重忠、塙保己一と並ぶ埼玉を代表する偉人として、3人札(役札:3枚そろえると10点)に選出されている。また『彩の国21世紀郷土かるた』の「え」の項目は「栄一も食べたネギ入り煮ぼうとう」となっている。これは深谷ねぎが栄一の故郷である深谷の特産品であることと、煮ぼうとうが埼玉県北部の郷土料理であることにちなんでいる。
現在埼玉県では渋沢の功績に因み、健全な企業活動と社会貢献を行っている全国の企業経営者に「渋沢栄一賞」を授与している。
居合の達人。
参考文献 三省堂編修所 「詳解日本史用語辞典」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80