焼きまんじゅう
出典: Jinkawiki
概要
蒸して作ったまんじゅうを竹串に刺し、黒砂糖や水飴で甘くした濃厚な味噌ダレを裏表に塗って火に掛け、焦げ目を付けたもので、軽食として好まれる。
まんじゅうは、あんの無い薄いもの(素まんじゅう。中国でいうマントウの類)が普通に用いられるが、一部にこしあん入りもある。通常、二色パン状に2個が接合した状態で蒸かされたまんじゅうを、2組(計4個)長目の竹串に刺して、炭火にかける。火に掛ける前後には適宜、刷毛を用いて裏表に味噌ダレを塗る。タレは一般に、北毛に行くほど濃くなり、中毛、東毛に行くにつれ緩くなる傾向がある。
焼きたての温かいうちは軟らかいため食べやすいが、冷めると水分が抜けてしまい、噛みちぎれないほど固くなる。このため、焼きたてで冷め切っていないものが珍重され、お土産用等も、焼く前のモノに別にパッケージしたタレを添えて、自宅で焼く事を前提とした形で販売している。
歴史
起源は幕末(19世紀中期)と見られ、前橋発祥説が有力とされているが、他にも伊勢崎市、沼田市等の店舗が元祖を名乗っており、それぞれ独立した起源であるとする見方もある。そもそも、焼きまんじゅうは酒を家庭でも造っていたころの副産物なので、商売のために誰かが発明したという類のものではなさそうである。前橋市の老舗焼きまんじゅう店当主であった原嶋熊蔵はその著書で、自身の2代前にあたる勢多郡飯土井村(現・前橋市飯土井町)出身の原嶋類蔵が、1857年に前橋で売り出したものが創始である、としているが、沼田市の東見屋饅頭店の創業は1825年(文政8)ということなので、商売としての創業は東見屋饅頭店の方が古いことになる。
群馬県南部では、古くから二毛作による冬季の麦作が盛んで、おっきりこみ(おっ切り込み、煮ぼうとう)といった麺類やまんじゅう類などの小麦粉食品が好まれていた背景がある。埼玉県の秩父市や長瀞町、栃木県の足利市にまで分布していて、繭や絹織物の生産地とほぼ一致することから、繊維関係の商工業者間の交流によって群馬県近隣地域にも広まったものと見られる。
現在、関東地方の祭りなどでは「上州焼きまんじゅう」の名前で露店でみかけることもある。
玉屋
群馬県沼田市久屋原町
大正14年創業、皇室に献上したこともあるお店。
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