生存権2
出典: Jinkawiki
生存権
社会の各員が人間らしい生存を全うする権利。生活権ともいう。日本国憲法第25条には、「第25条 社会権、国の社会的使命 1、すべて国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む管理を有する。 2、国は、すべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定されている通り、国は病気や失業のため働くことができないなどして収入を得られない人たちに対しても、安心して生活していけるための保障をすることをここに示している。こうした国民の生活の保障を国家の任務とすべきだとする社会国家の理念の確立に伴い、第一次世界大戦後、基本的人権のひとつとして明確に宣言されるようになった。しかし、この規定は具体的・現実的な請求権の保障ではなく国家の任務を示すプログラムにすぎないとする見解もある。
◆生存権の規定に関する概念
・積極説
国家は、国民の生存権を保障する義務に対して、全く任意自由の立場にあるのではなく、法律上に具体化されたものは、その権利的性格を無視することはできないとする考え。 国民の生存権の保障が法律のレベルでもその具体的・現実的な権利性が肯定されているが、生存権が具体的権利性を帯びるのは法律上の保障の反射的効果にすぎない。つまり、憲法25条については、請求権が形骸しか存しないが、生活保護によりその実質が埋められていて、生存権の権利性は充足されたと考える。
・消極説
生存権は、立法者に対する政治的・道徳的義務を明らかにしたものにすぎないとする考え。 国民の生存権の保障が法律のレベルでもその具体的・現実的な権利性は否定されているとして、社会保障に関する国民の受益は、国の配慮の反射的利益にすぎず、国民の具体的な需給請求権はいっさい認められないとした。
また、積極的説と消極的説の区分は、社会的諸立法の段階において保障される請求権に具体的性格を認めるか否かに基づいている。
・プログラム説
もともと現実に順守・実現される可能性のない、最初から法規範としては空文化せざるをえない憲法規定を合理的に解釈しようとした論理的工夫にすぎないため、そもそも消極的な意味しか持ちえないとする考え。憲法第25条に裁判規範としての効力をいっさい認めないとし、権利侵害の場合にも司法的救済は求められない、憲法上の特別な権利とも考えられる。しかし、朝日訴訟で25条の裁判規範としての効力を認めていることから、もはやプログラム規定は存在しないとも解釈できる。
◆朝日訴訟
重度の肺結核で長期入院中だった男性が、生活保護による生活扶助を受給していたが、実兄から仕送りを受けることになった。これにより、社会福祉事務所が決定した生活保護法による保護基準があまりにも劣悪であって、憲法の保障する健康で文化的な生活基準を侵害するとして訴えた裁判である。人間裁判とも呼ばれた。また、上告中に原告がなくなったため、養子夫妻が訴訟の継承を主張したが、生活保護受給権は被保護者自身に与えられた一身専属の権利であって、他にこれを譲渡しえないとして訴訟は終了した。
憲法第25条は健康で文化的な生活を営めるように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではないとした。この朝日訴訟を機に従来の通説の批判検討が始まった。
◆堀木訴訟裁判
全盲で障害福祉年金を受給していた女性が、離婚後自らの子供を養育していたことから、児童扶養手当の受給資格を申請したところ、年金と手当の併給禁止規定により申請を却下された。そのため、併給禁止規定が憲法25条・14条に違反するとして訴えた裁判である。 憲法25条の規定は国権について一定の目的を設定し、その実現のための積極的な発動を期待するという性質のものであり、権利ではなく債務を定めたにすぎないと権利性を否定した。また、健康で文化的な生活の具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況などの相関関係において判断されるべきであるもので、現実の立法として具体化するに当たっては、国の財政を無視できないとした。具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択権は、立法府の広い裁量にゆだねられている自由裁量権の問題が関わっている。
参考文献
「百科事典 マイペディア」 日立システムアンドサービス
「生存権 文献選集 日本国憲法7」 大須賀明編 1977 三省堂
日本国憲法の誕生 http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html
NPO朝日訴訟の会 http://asahisosho.or.jp/ 判例データベース http://www.gyosei-i.jp/index.html