生活綴り方教育
出典: Jinkawiki
生活綴り方の歴史
生活綴り方教育は、日本特有の教育法といえるものである。かつて、国民の多くが受ける日本の教育の内容では、科学的な内容は重視されておらず、このような認識を形成することは困難であった。そんな中で子どもに科学的な認識をつけさせようと考えたいくらかの教師たちが利用したのが、作文教育である。作文を書くことで社会や自然を見つめさせることが目的であった。 明治初期、作文は教育の一つの対象とされていた。この時代の作文教育は、形式主義とされており、現在の領域でいうところの「説明文」を文語体で書くことが目標とされていた。やがて、1900年の小学校令によって、「作文」は「綴り方」となり、生活を綴ること、平易な文章で書くことが求められるようになった。樋口勘次郎は、生徒の自発的活動として文章を書くことを重視した。そこで、「自由発表主義の作文教授」を提唱し、後の生活綴り方の考えの土台となるひとつの考えを提示・実践した。 大正期になると芸術教育運動と近い綴り方運動が起こり、生活を描いた教材が豊富になった。また、北原白秋などの児童自由詩が生まれ、子どもたちが自由に詩を創作する基盤が形成されていった。昭和になると軍国主義が国家を覆うようになり、教育がその先端をいくようになる。大正自由主義の時代にはまだあった自由な教育への許容が、昭和になると不寛容になり、教育はますます国家統制が強くなっていった。戦後、日本の教育は占領軍による大きな改革が行われ、アメリカ流の経験主義が大々的に導入された。その結果、十分に消化しきれず学力低下を招くことになった。綴り方教育は、そうした批判のひとつとして影響力をもった。そして戦前弾圧された綴り方教師たちが現場に復帰し、再び生活綴り方を学校の現場に取り入れはじめ、日本作文の会という組織が結成され、今日に至っている。
方法
生徒に、生活の中で起きたことを日記として綴らせる。また、時にはテーマを決めてテーマ作文を書かせる。ノートを一人一人に作らせ、毎日提出させる。教師は、一人一人の文章に目を通し、チェックをいれる。そして、みんなに読ませたいと思う文章を、印刷して配布し、親にも見せるように指導する。さらにその中から、いくつか選んでみんなの前で朗読させる。感想を出し合い、話し合いを行う。話し合いをもとに、話し合われた作文に対して生徒は感想文を書き、そのうちいくつかを、また印刷する。
意義
文章を書くという行為は、「認識」「思考」という行為でもある。毎日、日記を書くことは、日々の生活を見つめなおすことである。そして、それを他人に見せることで、コミュニケーションが成立する。教師も毎日生徒一人ひとりの日記を読むことで、生徒とのコミュニケーションを日常的に成立させている。