産業革命2

出典: Jinkawiki

過去において、人類の文明史を画期した大きな事件は二つあった。一つは、人類が紀元前8000年ごろにメソポタミア地方で農業を始めた「農業革命」、もう一つは18世紀イギリスで開始された「産業革命」である。現在、産業革命がつくりだした物質文明は、過去における二つの大変革に匹敵するような大きな変革に直面している。アルビン・トフラーAlvin Toffler(1928― )はこれを人類史における「第三の波」とよんでいるが、人によっては「第二の産業革命」とよぶこともある。

18世紀イギリスに起こった産業革命は、農業文明社会から工業文明社会への移行を意味するから、普通これを「工業化」とよんでいる。工業化はその後ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本、ロシアなどに拡大し、さらに20世紀後半には、中国、韓国、東南アジア、中近東、ラテンアメリカ、アフリカ諸国に広がりつつある。工業化を簡単に定義することは困難であるが、物質的財貨の生産に無生物的資源を広範に利用する組織的経済過程であるといってよい。すなわち農業社会では、そのエネルギーを人間や動物の筋力か、風力、水力といった自然の力に頼っていた。また生活に必要な炊事や暖房、生産のための熱エネルギーは、主として薪炭に依存していた。これに対して工業化は、こうしたエネルギーの生物的資源への依存から、石炭やガス、石油といった一度消費してしまえば再生不可能な化石燃料への依存に移ることで、その際、新しいエネルギー体系への移行とその経済過程への適用を支えたものは、科学技術の進歩であった。

こうしてイギリス産業革命は、かつて経済学者のアーノルド・トインビー(1852―83)が主張したような激変的でドラスティックな現象としてではなく、少なくとも16世紀中ごろから工業化が始まったとする見解が今日では支配的である。

各国の工業化初期段階において、生産的投資が短期間に急速に上昇する現象がみられる。この現象に注目したのがアメリカの経済史家ロストウで、彼はこれをテイク・オフ(離陸)と名づけ、「生産的投資率が国民所得の5%ないしそれ以下から10%以上に上昇すること」という数量的規定を与え、低開発国の工業化に一つの歴史的規準を提供した。彼によれば、テイク・オフ期は各国ともだいたい20年間である。イギリスは1783~1802年、ドイツは1850~73年、日本は1878~1900年(明治11~33)と押さえたが、この期間については異論がないわけではない。

ところで産業革命は、生産における技術革新と急速な経済成長をもたらしたのみならず、従来の農業社会の構造を根底から崩壊に導いた。生産と消費が一体であった農業社会にかわって、いまや生産職場と家庭は分離し、人々の生活は、労働を売って得られる賃金収入に依存せざるをえなくなった。現代の都市サラリーマン型生活が生まれたのもこのときである。農村共同体の崩壊に伴って、教育、福利厚生、娯楽などの社会的諸機能が共同体から分離、独立するなど、社会組織の大変革が起こった。

こうした産業革命を最初に経験したのはイギリスであるから、次に主としてイギリス産業革命について述べる。なお、日本の産業革命については「日本産業革命」の項を参照されたい。

参照 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E5%91%BD/

ハンドル名 けん


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