発見学習
出典: Jinkawiki
教師が結論を与えるのではなく,児童・生徒自身に探究させ,自ら課題に対する解答を見出したり知識体系を発見,構築するように導く教授法をさす。この場合,一般に知識の習得よりは,その背景となる問題解決能力あるいは学習に際しての思考の方法や態度を身につけさせることに力点を置いているところに特色がある。 【発見学習の沿革】近代までの教育は,教師による一方的な知識・技能の注入,教え込みが中心であったといってよい。しかし,学習者の思考活動を促し,学習者自身が結論を生み出すという教授法が,まったく考えられていなかったわけではない。たとえば,古くはソクラテスの産婆術にその淵源を求めることができるし,下って17世紀のコメニウス(1592~1670)の感覚論も,学習者の直観・表現を重視した方法として,その系列に入るものといえよう。その後,この発想はペスタロッチ(1746~1827)・ディーステルヴェーク(1790~1866)・ツィラー(1817~82)などによって,学習者の心理にもとづく教授理論として明確にされてきた。そして,これらの思想の系譜を受けて,デューイ(1859~1952)は,行動的経験主義理論と反省的思考説にもとづく問題解決学習を提唱した。
新カリキュラムと発見学習
1950年代の後半から1960年代の前半にかけ,科学主義教育・新カリキュラムと呼ばれる教育内容変革の運動がアメリカでおこり,世界の教育界の注目を集めた。わが国でも,教育内容現代化の運動として紹介され,大きな影響を与えた。新カリキュラム運動の特色は,その推進者が従来の教育学者や現場の教師ではなく,当時の第一線の自然科学者たちであったことである。そして,その運動の理論づけを行ったのが,心理学者のブルーナーであった。ブルーナーの新カリキュラムの理論は,構造主義の心理学者である彼の「構造」の概念からきている。この場合,「構造」とは,ある問題,分野の最も普遍的な原理をさしている。新カリキュラムにおいては,児童・生徒が学ぶ教科を,学問の分野として考える。そして,それぞれの学問の本質となる「構造」を,児童・生徒に獲得させようとするのである。ところで,この「構造」の学習は,教師が教え込むのではなく,発見学習によるべきだとされる。それは,結論を教えるのでなく,結論にいたる過程を児童・生徒にたどらせることである。それによって学習のしかたが学習され,学習する能力が伸張されるのだとする。
発見学習の方法
ブルーナーは発見学習の過程として,直観と検証を重視する。その直観的思考を促すためには,幾つかの一般的諸法則--類推・制約条件の吟味・視覚化など--を用いることや,場合によっては当て推量も奨励する。しかしそれは必要な限り多くの検証確認を伴わなければならないとする。この発見学習における教師の役割は,児童・生徒を問題発見とその解決にむかわせることであり,そのために系統的な補助を行うことである。それは,教師と児童・生徒との対話ですすめられることになる。発見学習という教育の理念および方法は,これまで述べたとおり必ずしも新しいものではないが,ブルーナーの新カリキュラムの理論によって,改めて世界的に着目されるようになったといってよい。すなわち,児童・生徒の自らの活動を重視し,自己学習の能力をめざしつつ,科学の基本概念・学問の構造の獲得を標榜している点において,これまでの教育学における対立的概念であった能力陶冶・形式陶冶の立場と,教材陶冶・実質陶冶の立場との止揚をはかったものと考えられるからである。
〔参考文献〕ブルーナー『教育の過程』1963,岩波書店
水越敏行『発見学習の研究』1975,明治図書
東京アカデミー編 『教職教養I』 七賢出版