百科全書派
出典: Jinkawiki
概要
フランスの啓蒙思想は「フィロゾーフ」と称される多彩な思想家たちによって社会の各層に広められた。18世紀のことである。モンテスキュー、ヴォルテールらと同じく彼らの多くはイギリス合理主義の影響を受けており、コンディヤックはロックの著作を翻訳し、また『感覚論』(1754年)を著してロック流の感覚主義を広めた。エルヴェシウス、ラ・メトリ、ドルバック、ディドロらは唯物論を唱えた。中でもディドロは、18世紀知識人のオルガナイザーで、数学者ダランベールの協力のもとにフィロゾーフたちを組織し、『百科全書』を刊行した。184人にのぼる寄稿者の思想的立場に違いはあっても、専制政治と無知に反対し科学や技術の進歩に味方しようとする点ではほぼ一致していた。これら一群の思想家たちを『百科全書派』アンシンクロペデイストという。
刊行当時
『百科全書派』は刊行と同時に反動的な教会勢力の激しい反対に合い、第一巻と翌年の第二巻は発禁処分を受けその後も観光は種々の生涯にあって非合法出版となった。しかし、他方では宮延、政府の中に刊行事業に好意を寄せるものもあり、ヴォルテールと親しいポンバデュール夫人は宮延工作を試み、出版長官マルゼルブの密かな援助などもありルソーやダランベールの脱落はあったが全28巻が1772年に完成した。
自由の思想
百科全書派の人々は、ディドロを含め開明されえた君主に政治の改革と経済の自由化を期待しており君主制を否定する考えは全くもっていなかった。科学技術の発達と文明の進歩を歓迎するかれらは、全ての希望を君主に託していたためである。コンドルセを除く大半のフィロゾーフは、フランス革命うぃ前に没したのであるがもし革命を目撃したならこれに大きな衝撃を受け違和感を持った。にも拘わらず、『百科全書』が広めた合理と自由の思想は革命の思想的土壌となった。
参考文献
世界近代史全史 大江一道 1991年 山川出版社 百科全書派の世界 市川慎一 1995年 世界書院
Hネーム Sato