盧溝橋事件
出典: Jinkawiki
第一次近衛文麿内閣成立直後の1937(昭和12)年7月7日に北京郊外の盧溝橋付近で起きた日中両国軍の衝突事件。これをきっかけに日中両国軍は8年間に及ぶ戦争に突入した。(日中戦争)
1937年7月7日、午後10時過ぎ、砲台の兵営を出発した支那駐屯軍の歩兵第1連隊第3大隊所属第8中隊が盧溝橋付近で夜間演習を行ったが、その終了直後に龍王廟付近から十数発の銃弾が発射され、その際に1人の日本兵が行方不明になり、日中双方の対立が激化し、それがきっかけで盧溝橋事件が勃発した。ちなみに銃を撃った犯人はいまだに明らかにされていない。
盧溝橋事件の発端をめぐる諸説
① 日本軍の謀略だとする説。つまり事件を起こすために何者かが見方に向かって発砲したとする見方
② 国民党側が発砲したとする説。当時、日本と対峙していた中国国民革命軍第29軍兵士が発砲したとする見方
③ 日中間の衝突を引き起こすため中国共産党が発砲したとする説
参考
小林英夫 「日中戦争 殲滅線から消耗戦へ」 講談社現代新書
石井進 五味文彦 笹山晴生 高埜利彦 「詳説 日本史B」 山川出版社