相互確証破壊
出典: Jinkawiki
冷戦時代の核戦略のひとつ。米国は1954年に大量報復戦略を形成し、1961年に柔軟反応戦略、1965年には相互確証破壊戦略と核戦略を変化させてきた。 大量報復戦略(Massive Retaliation)はソ連に対する即時かつ報復できる強力な核能力を持つことによって、共産主義勢力のあらゆる規模の侵略を抑止しようとする戦略のことである。米国の核戦略はソ連よりも大きく上回っており大規模な戦争を抑止することはできたが、小規模な武力衝突や局地紛争などが大きな戦争に発展してしまい、結局紛争自体を抑止することはできなかった。
そこで考えられたのが柔軟反応戦略(Flexible Response)である。これは、大量報復戦略では対応できなかった小規模なゲリラ戦から全面核戦争に至るあらゆる段階の戦争にも有効に対応できる能力を整備することで、戦争を抑止しようとする戦略のことである。この戦略で重要になったのは、軍事目標を正確に攻撃する能力であり、「対兵器戦略」と呼ばれる。この核戦力の柔軟化を図るために大陸間弾道ミサイル(ICBM)の精度を上げる技術競走が起こる。
こうして確立したのが相互確証破壊戦略(Mutual Assured Destruction:MAD)である。これは仮に相手から先制攻撃を受けた場合でも、残った核兵器で相手に対して耐え難い損害を与える能力を互いが確実に保持することによって核攻撃を抑止しようとする戦略のことである。この戦略を成立させるためには米ソ両国が報復のための核戦力を温存できる体制を作る必要があった。1972年にはABM制限条約が締結され、核戦争が起こることの恐怖を互いに共有することで安定を保とうという恐怖の均衡を図った。冷戦の終結によって戦争をする意志はなくなったものの、核兵器の恐怖からは解散されていない。イランや北朝鮮などの核開発が現在大きな問題となっている。
【参考文献】
核戦略 http://kubota01.my.coocan.jp/NuclearStrategy.htm
安全保障論のススメ http://web.sfc.keio.ac.jp/~kenj/security/archives/2005/05/post_11.html