真珠湾攻撃
出典: Jinkawiki
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真珠湾攻撃とは
1941年12月8日早朝(ハワイ時間では12月7日)に日本軍がハワイの真珠湾(パールハーバー)にあるアメリカ海軍基地に対して行った奇襲攻撃のことである。真珠湾攻撃により、太平洋戦争へ突入した。
開戦
日本とアメリカは1941年4月から日米交渉を続けていたものの、東条英機内閣は11月5日に行われた御前会議で、12月始め頃に開戦するとし、11月中に外交交渉が成立した場合には開戦しないと決定した。そして、攻撃は宣戦布告と同時に行うと予定されていた。12月1日の御前会議でアメリカ、イギリス、オランダと開戦することを決定した。12月2日には「ニイタカヤマノボレ一二〇八」(12月8日開戦)という暗号指令が日本海軍空母機動部隊に出された。そして、1941年12月8日午前3時過ぎ(ハワイ時間では12月7日午前8時前)に真珠湾を攻撃した。攻撃と同時に宣戦布告が行われるとされていたものの、実際に宣戦布告が届いたのは攻撃開始より1時間後だった。遅れた理由は、暗号解読が遅れたためと言われている。宣戦布告が遅れたことで、アメリカ大統領フランクリン=ルーズヴェルトは日本のだまし討ちであるとして非難しアメリカ国民に「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」と呼びかけ、戦争参加への意欲を盛り上げる結果となった。
報道
1941年12月8日の午前6時に大本営陸海軍がアメリカ軍、イギリス軍と戦闘状態に入ったことを発表した。午前7時のラジオでアメリカ軍とイギリス軍との開戦の臨時ニュースが伝えられた。国民はこの臨時ニュースによって初めて太平洋戦争が始まったことを知った。この臨時ニュースはラジオで何度も繰り返し放送された。その後、午前11時40分香港攻撃、午前11時50分マレー半島奇襲上陸成功、午後1時シンガポール爆撃、午後5時フィリピン大空襲などと次々と戦果が報道された。
陣容と損害
第一航空艦隊の陣容は航空母艦6隻、護衛戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦9隻、その他油槽船などである。そして、戦闘機、爆撃機は354機。特殊潜航艇は5隻である。アメリカの損害は戦艦5隻撃沈、戦艦3隻中破、軽巡洋艦2隻大破、航空機188機の破壊などである。対して日本の損害は航空機29機、特殊潜航艇5隻であると言われている。
参考文献・参考URL
学研まんが日本の歴史 監修 樋口清之 まんが 田中正雄 学研
図説昭和の歴史6 著作者 今井清一 発行者 堀内末男 集英社
図説昭和の歴史8 著作者 由井正臣 発行者 堀部末男 集英社
世界史の窓 http://www.y-history.net/appendix/wh1505-058.html
日本史 http://www.uraken.net/rekishi/reki-jp84.html
ハンドル名 ソラ