石井十次
出典: Jinkawiki
石井十次は日本における福祉事業の先駆者である。慶応元年(1865年)に 宮崎県の高鍋町に生まれ、最初は岡山で医学を学んでいたが、ある貧しい母子との出会いをきっかけに、23歳で本格的な児童救済事業を始めた。岡山孤児院を創設し、「孤児の父」と呼ばれた十次の元には一時は1200名もの子ども達が収容されたと言われている。施設内には私立の小学校も開設され、ユニークな教育も行われた。
やがて、フランスの思想家ルソーの『エミール』の感化を受けた十次は木城町の南端にある茶臼原で「自然・労作」教育をしようと、 明治27年、岡山からの大移住を開始した。 児童や職員はもとより、建物も解体して茶臼原の地に再現し、そこで理想的な農村共同体を実現するつもりだった。ところが、大正3年に十次は倒れた。当時49歳だった。その後、昭和20年に太平洋戦争被災児救済を目的に再開し、『石井記念友愛社』が創設され、児童養護施設や保育園も運営されることになった。
参考URL
・http://www.town.kijo.miyazaki.jp/5/juji.htm