禁酒法2
出典: Jinkawiki
1917年2月に、米国全土で禁酒法を達成するための憲法修正決議が、アメリカ合衆国議会に提出され両院を通過した。 1919年1月16日には修正決議は48の州の内36州で批准され、同年10月28日のボルステッド法によって「酔いをもたらす飲料」 が定義され、0.5%以上アルコールを含有しているものが法規制対象となった。1920年、酒類の製造、販売、運搬等を 禁止する合衆国憲法修正第18条が効力を発し、禁酒法時代が始まった。
しかし禁酒法が施行されたが、ニューヨーク市を例に取っても1万5千もの酒場が、禁酒法以降は3万2千もの「もぐり酒場」を 生む事になり、酒が飲まれた量も、禁酒法以前の10パーセントも増加している。飲酒運転の摘発も、禁酒法施行後(1920年) の1年間に較べ、1927年には467パーセントの増加になっている。特にシカゴにおいては、禁酒法をごまかす者のための 避難所として有名になった地域も存在する。。窃盗や殺人を含む犯罪の多くは、シカゴや、その他の禁酒法に関係する 犯罪と関わっていた。
こうして、禁酒法に対する反感が大都市でも次第に高まるようになり、、1933年フランクリン・ルーズベルトは 禁酒法の改正に踏み切った。禁酒法が廃止されたことで、これら犯罪組織は安価なアルコールとの販売競争に敗れ、 多くの州で、闇市でのアルコールの売り上げを失った。。 1920年から1933年までの禁酒法時代を「高貴な実験(The Noble Experiment)」(13年10ヶ月19日7時間32分30秒間)とも揶揄された。
参考文献 岡本勝(1996)「禁酒法『酒のない社会」』の実験」講談社現代新書
投稿者KK