立身出世主義

出典: Jinkawiki

立身と出世

 江戸時代にはあまり立身出世や出世立身というひとつながりの言葉は使われておらず、「立身」と「出世」が別々に使われることが多かった。武士の世界では「立身」が、町民などの庶民の世界では「出世」が使われていた。  武士が立身という言葉を使ったのは、彼らの身分文化が儒学によっていたからである。立身は孝経の中に「身ヲ立テ道ヲ行ヒ、名ヲ後世ニ揚テ以テ父母ヲ顕スハ、孝之終也」とあるように、儒学の用語である。町人が「出世」という言葉を彼らの身分文化が仏教によっていたからである。出世はもともとは仏や衆生を救うためにこの世にあらわれることや、世間的なものを超えていることを意味した仏教用語である。  江戸時代の立身出世を取り巻く意味の世界も明治以後とはとは異なっている。「立身」にしても「出世」にしても、積極的な価値が付与されて焚きつけられていたわけではなかった。江戸時代は身分社会であるから自己の分を知り分に安んずる身分相応が社会規範であった。分限思想がこれである。分とは士農工商の分かちであり、限とはそれぞれの身分に応じた住居衣類や食物の限りである。身分を超えた欲望を持つことは不道徳だった。  分限意識とは関係の深い社会的意識や態度は、倹約、宿命、忍従、あきらめである。まったく逆の社会意識や態度が奢侈や立身出世である。したがって分限意識によって奢侈や立身出世へのとどまるところのない欲望は抑制される。富貴貧賤は天命により決定されたものであり、追い求めるべきものではないとされた。

野心解放

明治日本の幕開けによって、職業選択の自由や居住の自由が宣言され、社会的流動性の妨げとなっていた制度が解除された。「官武一途庶民ニ至ル迄其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス」という「五箇条の御誓文」や「学問ハ身ヲ立ルノ財産」という「学制被仰出書」は「身分相応」ではなく「実力相応」の時代を煽り立てた政府文書である。情欲と官能の抑圧と否定から、解放と奔流の時代となった。富貴への欲求は、民権を拡張し、国の富強になるとして積極的な意味が与えられた。(yagi-zyunzou)


参考文献 「立身出世主義」竹内洋 NHK出版 「現代日本の心情と理論」見田宗介 筑摩書房


  人間科学大事典

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