第二次世界大戦13
出典: Jinkawiki
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概要
1939年9月1日ドイツがポーランド侵攻を開始すると9月3日にフランス・イギリスがドイツに宣戦布告し、これが第二次世界大戦の始まりとなった。当初日本は不介入の方針をとっていたが、のちに太平洋戦争を引き起こすなど、この戦争に深入りしていくことになる。太平洋戦争を経て、戦争は終結に向かっていく。ドイツ降伏後1945年の8月6日の広島、同月9日の長崎への原子爆弾投下を経験し唯一の被爆国となった日本は昭和天皇の「英断」によりポツダム宣言を受諾し、約6年にわたる戦争は幕を閉じた
被害
全体での死亡者の数は8000万人前後と言われている。これは、第一次世界大戦の1.5倍である。また、民間人の被害者数は5000万人前後、軍人の被害者数は2500万人前後である。そして、第二次世界大戦の特徴として、アジアが大きな犠牲を払っていることや死者のうちに占める民間人の割合がとても高いことが挙げられる。また戦争のための戦費はアメリカが3410億ドル、ソ連1920億ドル、イギリス940億ドルなど総額1兆ドルを超える膨大な額に達した。敗戦国だけではなく、連合国側も多大な被害があった。レイナードという場所が、900日にも及びドイツ軍に包囲されたが、その後ドイツ軍を撃破した際に死者は120万に上ったがそのうち70万人近くが餓死した。このことからも分かるように、戦争全体においても餓死した人数が多いのがわかる。また、敗戦したドイツは東プロセインやシュレジェン地域を完全に損失しこれにより戦前の国土の25%を失うこととなった。
終戦
1945年2月にアメリカ・イギリス・ソ連の三カ国によるヤルタ会談が開かれた。内容は戦後の処理についてであった。この際ドイツを連合国が分割統合することが決められると同時に、ソ連の対日戦が極秘決定されていたのだ。しかし、ドイツは指導者であるヒトラーが自殺したことにより降伏したのだ。その後は枢軸国の最後の国であった日本は戦争を継続させていたのだが、アメリカによる空爆が続き、さらに日本にとって最大の被害をもたらした広島と長崎への原爆投下によって日本は戦う余力がなくなり昭和二十年八月十五日終戦を決め、9月2日に降伏文書調印。第二次世界大戦は連合国が勝利し、日本の敗戦か決まり終戦した。
参考文献
『詳説日本史』 編著者:笹山晴生、佐藤信、五味文彦、高埜利彦
『新詳日本史 地図 資料 年表』 編著者:浜島書店編集部
『グローバルワイド最新世界史図表新版初訂』 編著者:第一学習社編集部