脱亜論2
出典: Jinkawiki
脱亜論が執筆された背景
・1885年、新聞「時事新報」の社説として掲載されたものである。 日本は、清、朝鮮国と特別な関係を持つ(アジアの国の仲間として)わけではなく、欧米的な付き合い方をしていくべきだと書いてある。 そして日本はアジアの国々の中で唯一文明を受け入れ、脱亜を果たした国だと主張している。 支那国(清)と朝鮮国が隣国であることを不幸だとかき、両国が文明化を受け入れておらず、近代化を拒否して儒教的な態度を依然としてとり続けていることに対して憤り、呆れ、日本の将来への不安を書いている。 支那国と朝鮮国に日本が明治時代に起こした明治維新が起きればいいが、日本の西郷、木戸のような優秀な志士がいそうではないので、支那、朝鮮国は将来数年のうちに欧米によって国が分割されるだろうと予想もしている。 このまま支那国と朝鮮国とつきあっていては、日本と隣国両国が同視されてしまうとし、外交面でも支障がでることになるだろうといっている。 現にこの時期にすでに外交面に多少の支障が出ていて、そのことに対して、「我日本国の一大不幸」と書いており、「我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」とも書いてある。 しかしこの「悪友を謝絶するものなり」という文章は、支那、清両国と国交をなくし、絶縁するべきだと書いてあるわけではなく、個々に違う方法で、違う道で近代化をしていくべきだ、と書いてあるものである。
福沢諭吉と朝鮮国の関係
・脱亜論を語るうえで欠かせない存在になってくるのが福沢諭吉である。 なので今回は福沢諭吉と朝鮮国のつながりについて簡単にまとめてみた。 福沢諭吉が朝鮮国への理解を深める第一歩となったのが、福沢が慶応義塾を創設してから留学生としてきた兪吉濬との繋がりからである。 彼から話を聞き朝鮮への理解を深めていった。 その後、開化派の金玉均とも親交を深め、「時事小言」を発刊した。 そこで朝鮮の文化的近代化を進めるべきだと書いた。