般若心経

出典: Jinkawiki

般若心経とは「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」の略称である。大乗仏教の空・般若思想を説いた経典の一つで、「大般若波羅密多経(大般若教)」という膨大な内容を276字に要約した経典。


内容

原本はサンスクリット語であるが、漢文に訳してあるものを主に使用している。

「摩訶般若波羅蜜多心経」

観自在菩薩 行深般若羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色無受想業識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界 無無明亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆呵 般若心経


意味

「観音さまは深い智慧に至る修業をし、この世界をなす五つの要素に実体はないと知り、苦を離れ、悟りを得られたのだ。舎利子よ、姿あるものは常に移り変わる。移り変わり、姿を変えるのが我々が生きる世界の本当のあり方だから、目に映り、感じ、想い、行い、知り得たと思うことに、実体はない。舎利子よ、(お釈迦様の弟子の名前)仏の目で見ればこの世は移り変わっているだけなのだ。生じているのではない、滅してもいない、汚れもせず、汚れを離れることもなく、増えも、減りもしない。舎利子よ、移り変わる世界で、自分が目にし、心に思い、行い、知ったと思うことも実は存在しない。眼や、耳、鼻、舌、身体、心に映るもの、ものの姿、声、香り、味わい、触り心地、ここちよさも移ろうだけのものである。眼にうつり、意識されるものに実体は無く、迷い、悟り、老い、死、老いと死がなくなることも空そのものである。苦も、苦の原因も、苦の消滅も、苦を抑える道も。そして知ること、得ることすら実は存在しない。移ろうものを捉えられないように。観音さまは、般若波羅蜜多によって心を安んじていて、自分と他者を区別することもない。その状態に安住しているから、何に対する恐れもない。顛倒した心を遠く離れて、永遠の安らぎに入っているのだ。過去・現在・未来の三世の中でこの真理に目覚める人々は、永遠の安らぎを与える”般若波羅蜜多”の智恵により、この上ない悟りの状態に入るのだ。その般若の智慧は大いなる真言である。大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言であり、すべての苦しみを取り除く。般若波羅蜜多の呪文なのだ。」


般若心経が「般若波羅蜜多」の修行で得られる智慧として説いているのは、大乗仏教の「空」の智慧である。つまり、「般若波羅蜜多」の智慧は「空」を理解する智慧であり、瞑想修行の中ですべてを「空」であると洞察する。「空」とは、今、生きているこの世でこの生命のあるうちに理解しなければならぬもの、実感しなければならぬもの、そうしたものがこの生命の奥にある。それを仏陀は「空」と表現した。「法」とも表現し、そこに永遠の真理があると説いた。「空」を瞑想することで、神と一体になり、仏と一体になり、霊と一体になる。それこそが魂の自覚につながる、というものである。日本では一部の宗派を除き、各宗派で解釈がされ使用されている。


参考文献

『般若心経・金剛般若経』中村元、紀野一義 翻訳 岩波文庫

『現代語で考える般若心経』伊藤公夫 著 近代文芸社


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