見えざる手
出典: Jinkawiki
見えざる手(英 invisible hand)とは、アダム・スミスの言葉であり、国富論の第4編第2章に現れる術語であり、古典的自由主義経済における市場法則を指す。神の見えざる手(invisible hand of God)という名でも知られる。イギリスの古典派経済学者アダム・スミスが『道徳感情論』(1759)と『国富論』(1776)で、それぞれ一度ずつ使ったことばであるが、彼の予定調和の思想=自然法思想を象徴することばとされている。『道徳感情論』では、自然的秩序の成立は、諸個人の自己愛を制御する神の導きによるものとされている。しかし、『国富論』では、利己心の抑制を求めるのではなく、諸個人の利己的な経済活動が、結果的には、社会の生産力の発展に寄与し、また諸階級の利害も調整されて、繁栄のなかに自然的調和が成立することを、日常の経験的事実から演繹(えんえき)的に記述しようとしているのである。彼の理論において、自然的調和と繁栄に導くものは、自由競争市場における価値法則の作用と、利潤動機に導かれた資本投下の自然的序列=「富裕への自然のコース」であった。したがって、これが神の「見えざる手」の作用の具体的な現れと考えることができるのである。こうした自然的秩序を混乱させるものとして、重商主義国家による経済への介入を、彼は強く批判したのである。
市場経済において各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体の利益が達成されるとする考え方。つまり、 供給量が需要よりも少ないと、必要としているのに物が少ないわけだから、値段は上がる。逆だと物が余るので、値段は下がる。そのような市場価格の変動が、自然の調整機能として、効率のよい資源の分配を行っている、という。個人が利益を追求することは一見、社会に対しては何の利益ももたらさないように見えるが、社会における個人全体が利益を追求することによって、社会の利益が「見えざる手」によって達成される。このことは、価格メカニズムの働き、最適な資源配分をもたらすものとした。スミスはそのために、国家は国防・警察・教育等の必要最小限以外の経済活動への参入を否定し、あとは市場機構による経済の発展を重視すべしとの立場をとり、国家の経済への介入を批判した。スミスの国家観は「夜警国家」のそれであったということができる。市場法則を神の摂理と捉えたところに、自然と神を同一視する楽観的な考え方であるとする指摘もある。この考え方は、後の新自由主義のイデオロギーとなった。
・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%96%E3%82%8B%E6%89%8B
・http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%96%E3%82%8B%E6%89%8B/