親鸞聖人絵伝
出典: Jinkawiki
[編集]
概要
浄土真宗の開祖親鸞聖人の伝記絵。永仁三年十月十二日、親鸞の曾孫覚如によって、親鸞の命日十二月二八日のの法要報恩講に用いるために、初めてつくられたが、この原本は南北朝時代に失われた。その後、絵巻や掛幅の作品が数多く制作されたが、現存する最古の遺品は、覚如が詞書を執筆し、関東の高田門徒に与えた専修寺本で、初稿本と同じく上巻六段、下巻七段、計一三段からからなる絵巻である。西本願寺本は、巻末に「興福寺琳阿弥陀仏主」の署名があることから琳阿本と呼ばれている。詞書は覚如の手によると考えられているが、上巻の最後に一段が加わり、一四段の構成になっている。その後、康永二年には、上巻にさらに一段を加えた一五段からなる増補改訂本が覚如によって制作された。この東本願寺本に記された覚如の奥書から、初稿本の画工が康楽寺浄賀であり、康永本では上巻は康楽寺円寂、下巻は弟子の宗舜であることがわかる。康永本の影響力は大きく、翌年には康永本の図様に則った照願寺本がつくられ、上下巻をさらに二巻に分けて四巻とする構成も定型化したが、貞和二年制作された東本願寺弘願本、覚如の子存覚が詞書を書写して制作した定専坊本、専修寺本系統の仏光寺本、専修寺本の忠実な模写本である報恩寺本など、独自の図様をもつ絵巻もつくられた。掛幅の作品としては、三幅からなる妙願寺本、如意寺本、願照本、一幅で完結する光照本などがあるが、とくに、建武五年の年記を有する光照寺本は、存覚との関係が指摘され、初稿本から康永本への過度的要素がうかがえる作品として注目される。
[編集]
参考文献
日本中世史事典 編:阿部猛 佐藤和彦 朝倉書店
日本史B用語集 編:全国歴史教育研究協議会