谷津干潟
出典: Jinkawiki
- 谷津干潟
谷津干潟とは、千葉県習志野市谷津および秋津にある約 40ha の干潟である。
1.干潟の定義
干潟とは、遠浅の海岸で、潮が引いて現れたところ。ひかた。潮干潟。(広辞苑より) 潮汐の干満の差と干潟の広さが日本一(約8600ha)といわれている有明海は、大潮時には7mにも達するが、最深部でも20m程度の浅い内海である。
2.干潟の種類
干潟は大きく2つに分類され、1つは砂が混じった比較的硬い砂干潟で陸地付近が砂浜となっていてアサリなどがとれる干潟と有明海のようにむつごろうなどといった特有の生物が多く生息する泥交じりの軟泥干潟がある。これらの生物は、川の水と海水が交じり合う河口付近の塩分が薄くなっているところ[汽水]でしか生息することができない。 つまり外海の魚が有明海に入ってくることはあっても逆はありえないのである。
3.干潟の持つ力
干潟にはカニや貝類、ゴカイなどたくさんの生物がすんでいる。これらが川から流れ込む有機物や栄養塩類(窒素やリン) を食べることで海水はきれいになる。つまり浄化作用があるということだ。これらの生物を食べようと春や秋には、多くの渡り鳥が飛来する。そのため、この姿を見ようとバードウォッチングをしたり、あるいは潮干狩りをしたりといった遊びの場にもなっている。
4.谷津干潟の概要
千葉県の東京湾岸の干潟は、そのほとんどが1960年代から1970年代にかけて千葉県企業庁によって埋め立てられ、工業地や住宅地として開発されたが、習志野市谷津地先の干潟は昭和放水路計画により旧大蔵省の所有であったために埋め立てを免れ、埋立地の中に2本の水路で海とつながる池の様に残された。その後、埋め立ての計画は持ち上がったが、東京湾に飛来する、シギ類、チドリ類、カモ類といった渡り鳥の希少な生息地になっていることが指摘され、また保護活動家による重要性の宣伝活動や清掃活動によってその重要性が広く市民の間でも認知されたため、1988年に国指定谷津鳥獣保護区(集団渡来地)に指定され(面積41ha、うち特別保護地区40ha)、さらに1993年6月10日にラムサール条約登録地に登録された。その歴史的経緯から、谷津干潟はほぼ長方形という不自然な形状である。さらに干潟の四方は宅地化・都市化が進んでおり、干潟の上には高架橋が建てられJR京葉線、東関東自動車道、国道357号線が通っている。
5.歴史
東京湾の浅瀬を埋め立て工場を誘致し、県民所得の向上を目指す。地元の漁師は当初大反対。しかし高額の補償金を目にし、賛成派が徐々に増えていく。その後高度経済成長の波に乗り造成地計画は拡大の一途。
1970年、最後に残された市川から稲毛までの海岸線25キロの埋め立て計画が発表。
1971年、15000ヘクタールの埋め立て計画総面積が発表←東京ドーム3200倍の面積。しかしあの長方形の干潟(谷津干潟)は戦前に内務省が運河建設のために買い上げた土地。戦後は大蔵省のものになっていたため、県は埋め立てるわけにはいかなかった。つまり、反対運動によって残されたものではなかった。県は大蔵省に対し払い下げを強く要求。習志野市も埋め立て賛成。干潟に捨てられた大量のゴミのせいで、風が吹くと悪臭が広範囲に広がり、早く埋め立ててほしいと願う近隣住民が多かったため、地元町会も埋め立てに賛成。
1974年 森田三郎が谷津干潟でのごみ拾いを開始
1984年 谷津干潟を自然干潟サンクチュアリとする計画が発表される。
※『サンクチュアリは、第一に野生鳥獣の生息地の保全を目的とした場所です。また、保全だけでなく、訪れた方がそこの自然を直接体験する場所でもあります。レンジャーと呼ばれる専門の職員がいて、保全のための調査や環境の管理、自然体験の手助けなどの活動を行います。また、サンクチュアリにはネイチャーセンターと呼ぶ拠点施設があり、レンジャーのさまざまな活動の拠点であり、また来訪者の方の情報の提供や地域の方々の活動の拠点でもあります』(WILD BIRD SOCIETY OF JAPAN のHPより引用)
1988年 国設鳥獣保護区特別地区に指定
1993年ラムサール条約に登録
6.ラムサール条約
ラムサール条約とは、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約(Convention on Wetlands of International Importance especially as Waterfowl Habitat)」の通称。1971年にイラン北部、カスピ海の沿岸のラムサールで採択、日本は釧路湿原などを指定湖沼として登録。国際湿地条約。
≪背景・意義≫
湿原、沼沢地、干潟等の湿地は、多様な生物を育み、特に水鳥の生息地として非常に重要である。しかし、湿地は干拓や埋め立て等の開発の対象になりやすく、その破壊をくい止める必要性が認識されるようになった。湿地には国境をまたぐものもあり、また、水鳥の多くは国境に関係なく渡りをすることから、国際的な取組が求められる。そこで、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地及びそこに生息・生育する動植物の保全を促し、湿地の適正な利用(Wise Use、一般に「賢明な利用」と呼ばれることもある)を進めることを目的として、1971年2月2日、イランのラムサ-ル(カスピ海沿岸の町)で開催された「湿地及び水鳥の保全のための国際会議」において、本条約が作成された(1975年12月21日発効)。本条約は、環境の観点から本格的に作成された多国間環境条約の中でも先駆的な存在であり、現在では広く用いられるようになった持続可能な利用(Sustainable Use)という概念を、その採択当初から適正な利用(Wise Use)という原則で取り入れてきた。(外務省のHPにより)
7.森田 三郎
森田三郎は、現在の谷津干潟があるのは、森田三郎のおかげといっても過言ではない人物である。
≪プロフィール≫
1945年千葉県生まれ。埋め立てが予定されていた谷津干潟のごみ拾いを一人で行い、自然保護運動を広めるために1987年市議に、1999年千葉県議に当選。現在、タクシー運転士をしながら、谷津干潟の自然保護に奔走している。千葉県議会議員、谷津干潟愛護研究会代表。森田三郎タクシー経営。
≪講義内容より≫
『皆さんは、何一つ自分のものになるわけでもないのに、それでも残したい、悪口を言われても行政と戦ってでも残したいというような、涙がこみ上げてくるような「ふるさと」をお持ちだろうか。私は、この28年間、私のふるさとである谷津干潟の生き物たちの命を想い、行動してきただけである。』
≪著作物≫
「どろんこサブゥ‐谷津干潟を守る戦い‐」/松下竜一(著)/講談社/1990年
「わが青春の谷津干潟[ラムサールへの道]森田三郎・干潟を守るたたかい」/本田カヨ子(著)/ろん書房/1800円/1993年
「埋もれた楽園‐谷津干潟・ごみとたたかた20年‐」/三枝義浩(著)/講談社/500円/1993年
「干潟の四季‐谷津干潟クリーン大作戦のご案内‐より」/森田三郎(著)/ふかんど出版(自費出版)/800円/1999年
8.参考文献
http://ww71.tiki.ne.jp/~nanaura/ariake-sea/ariake-sea.htm
http://www.sjef.org/kouza/envglect/env_41b.html