賤ヶ岳の戦い
出典: Jinkawiki
〈基本情報〉
1583年(天正11年)3月~4月、近江国の賤ヶ岳・美濃国の岐阜城・越前国の府中城と北ノ庄城で行われた戦い。
〈始まり〉
1582年(天保10年)に明智光秀が起こした本能寺の変により、天下統一を進めていた織田信長が殺された。その後、すぐに羽柴秀吉が駆けつけ山崎の合戦により明智光秀を討つ。その後、織田信長の後継者問題が生じた。羽柴秀吉は信長の三男である信忠の長男・三法師丸はたった3歳でリーダーシップを握り始めた。そして、必然的に対立していく二人は「賤ヶ岳の戦い」を巻き起こしてゆく。
〈七本槍〉
賤ヶ岳の戦いで先陣を切って戦った七人のことを七本槍という。福島正則、加藤清正、脇坂安治、加藤嘉明、平野長泰、糟野武則、片桐且元の七人だ。
〈参考サイト〉
・「賤ヶ岳の戦い/年表で見る戦国時代」 〈http://www.geocities.jp/hosinoufo3/sizugatake.html〉
・「余呉観光情報・自然が織りなす四季 歴史が刻まれた風景~ココロ満たされる旅路へ」 〈http://yogokanko.jp/sizugatake〉