足尾銅山
出典: Jinkawiki
栃木県にあり、慶長15年(1610)に発見された。幕府の御用山として17世紀に最盛。 1871年に民間に払い下げられ、77年古河市兵衛が買収。それ以後、生産技術が次々と近代化され、産銅量が急速に伸びて発展の一途をたどり、大正初期には人口が県内で宇都宮に次いで第2位となり「鉱山都市」と呼ばれやがては名実ともに日本一の銅山として大いに栄えた。 しかし、時は流れ銅の生産も次第に減少し、昭和48年に「名山足尾」の輝かしい歴史を秘めたまま閉山となる。 日本最大の銅山であり、足尾鉱毒事件の原因ともなる。足尾で採掘された銅は、東照宮や江戸城などの建造のさいに使われたれり、オランダや中国などへも輸出された。「鉱山近代化」の光と、「鉱毒問題」の陰に彩られている。 いうまでもなく古河市兵衛による足尾銅山の輝かしい歴史と、「公害の原点」ともいわれる田中正造の環境保護運動である。
参考文献 日本史B用語集 全国歴史教育研究協議会 http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/asio/asio.html